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自分は、土地や歴史の一部でしかない | 北川健太 × 深井龍之介

法人COTEN CREWになってくださった企業の方々と深井龍之介との対談連載。今回のお相手は、佐賀県嬉野市で旅館を営む北川健太さん。地元を出て東京の大学に通い、音楽業界入りを目指していた北川さんですが、やがて旅館を継ぐことを決心します。2人の対話からは、日本の地方が抱える問題と、希望が浮き彫りになりました。

北川健太(きたがわ けんた):佐賀県嬉野市出身在住。嬉野温泉で一番古い歴史を持つ老舗旅館に生まれ、25歳で15代目に就任。「スリッパ温泉卓球大会」をはじめ「嬉野ディスクジョッキー実業団」「嬉野温泉 暮らし観光案内所」「嬉野茶時」など嬉野温泉でワクワクする企画を多数手掛けている。17年夏より「湯上りを音楽と本で楽しむ宿」として旅館の一部を大きくリニューアル。又ビートルズマニアの顔を持ちラジオ番組「レッツ!ビートルズ on Radio」やPodcast「嬉野談話室」のパーソナリティを務める。

旅館なんて継ぎたくなかった

深井龍之介(以下、深井):僕が住んでいる九州の、佐賀県嬉野市で旅館「大村屋」をやっていらっしゃる北川さん。法人COTEN CREWになってくださってありがとうございます。嬉野市というと、長崎街道筋の宿場町ですよね。実は妻の出身地が近くでして、僕にとっては親近感がある場所でもあります。そこにある大村屋さんですが、どういう旅館なんですか?

北川健太(以下北川):嬉野温泉にある歴史の長い旅館で、僕で15代目です。1922年の火事でさまざまな記録が失われてしまったのですが、「天保元年」の印がついた敷石が出てきたことから、創業年を天保元年(1830)ということにしています。ただ、「大村屋」の名前はもっと古い文献にも出てきていますね。過去には歌人の斎藤茂吉なども泊まっています。

深井:15代目ですか! すごいなあ……。

北川:とはいえ、経営は大変です。僕は2008年に東京からUターンしてきて社長になったんですが、その頃は同年のリーマンショックの影響で、潰れるかどうかの瀬戸際という感じでしたね。

深井:あ、ずっと嬉野にいらしたんじゃなくて、Uターンされたんですね。

北川:ええ、僕、家業を継ぎたくなかったんですよ。バブル崩壊の影響で衰退していく地元にいたくなくて、東京の大学に進学しました。

深井:学生時代はなにをされていたんですか?

北川:僕、音楽業界に入りたかったんです。もともとジャズが大好きな父の影響で、子どものころから音楽が好きでした。特にビートルズが大好きで、今は地元のFM佐賀でビートルズの番組を持っているくらいです。

深井:それはすごい! 僕も学生時代は音楽に夢中でした。そんな北川さんが、どうしてご実家の旅館を継ぐことにしたんですか?

北川:大学時代にバンドをやっていたんですが、卒業前にアルバムを作ることにしたんです。でもアルバム作りにはお金がかかりますから、時給が高いバイトを探した結果、今のANAインターコンチネンタルホテル東京でベルボーイをやることになったんです。
それが生まれてはじめてのサービス業だったんですが、バイト1日目からピンと来ましたね。というのも、バイトの先輩に呼び出されたんですよ。北川君、なにかやってた? って。で、旅館の息子だということを白状したら、「さすが。普通の大学生は年上のお客さんと会話なんてできないよ」と言ってくれたんです。

深井:おお、やはりご実家の影響が……。

北川:その先輩がいいことを言ってくれたんです。「自分は将来、ホテルを建てるのが夢なんだけど、北川君にはご実家の旅館があるからいいよね」と。たしかにそうですけど、夢は音楽業界でしたから、「でも、僕は音楽をやりたいんです」と返したら、「なら、旅館で音楽をやればいいじゃん?」って。
そのときに、なるほどと思ったんですよね。東京のホテルなら音楽イベントも普通ですから。

深井:たしかに。旅館でライブやフェスというのは聞きませんが、ありかもしれませんね。

北川:その後、結局、音楽業界に入るのはあきらめて旅行業界で就職先を探し、熱海に新しくできたホテルに就職しました。
ところが就職して二年目にリーマンショックがあり、お話ししたように、実家の経営がピンチになってしまいます。同時期に母が病気になったこともあり、僕は実家を継ぐことを決め、こちらに戻ってきたんです。自分が引き継ぐしか実家を再生する手段がなかったというのもあります。

深井:責任感がおありだったんですね。

北川:それもありますが、旅館業っていろいろな免許が必要で、他人に譲渡するのが難しいんですよ。だから子が継ぐケースが多いんです。それに、当時の実家が抱えていた負債は普通のサラリーマンではとても返せない金額でしたから、選択肢はなかったともいえます。「旅館の歴史は借金の歴史」と言われるくらい設備投資にお金がかかりますから。

深井:そうだったんですか……。ものすごく面白い個人史ですが、その北川さんはなぜ、法人COTEN CREWになってくださったんですか?

「自分は主役じゃない」という感覚があった

北川:2020年に新型コロナが流行り始めて緊急事態宣言が出されると、人の動きがピタッと止まりました。もちろん、旅館を営む僕らにとっては大ピンチですが、やれることは何もない。絶望しているうちに、「とにかく、人と話したい」という欲求が出てきて、「嬉野談話室」というポッドキャストをはじめてみたんです。
そのために色々なポッドキャストを聞いてみたときに、COTEN RADIOを知ってハマったのが、深井さんを知ったきっかけです。

深井:ありがとうございます。どんな点が面白かったですか?

北川:深井さんがよくおっしゃる「メタ認知」、つまり自分や世の中を俯瞰する視点は、実はもともと僕にあったんです。だから共感できたんですよね。
子どものころから僕には「自分は主役じゃない」という感覚がずっとありました。というのも、僕は長い歴史を持つ旅館の15代目ですから、旅館だけを見ても1/15でしかないわけです。

深井:たしかに!

北川:それだけではありません。地元で議員をやっていた叔母がよく、「旅館があるのは、温泉が豊富に湧き出る嬉野の土地のおかげだ。だから調子に乗ってはいけない」と言っていたんですね。実際その通りで、土地があってこそのうちの旅館ですし、さらに僕はその歴史のごくごく一部を担うだけ。だから、自分は主役じゃない。メタ認知に近い感覚です。

深井:なるほど……そういえば何度か、北川さんみたいに長い歴史を連綿と受け継いでいる家の方から、似たようなコメントを聞いたことを思い出しました。そういう立場の方はメタ認知しやすいのかもしれませんね。

土地が衰退し、隣の旅館が崩されたのが悲しかった

北川:話を戻すと、僕が2008年に実家を引き継いでから4年でなんとか事業再生計画も達成できて、ようやく利益も出せるようになりました。でも、嬉野温泉全体が衰退していくのは変わらない。とくに、隣にあった大きな旅館が倒産して、建物が崩されるのを見ているのが辛かったですね……。

深井:それも面白い考え方ですよね。ちょっと残酷ですけど、市場経済というか、ビジネスの論理だと、ライバルが消えるのはプラスのはず。でも北川さんは違う。

北川:土地あっての自分ですから、喜ぶことはできませんでした。

深井:自我の範囲が広いんですね。普通は自分=自分ですけど、北川さんの場合、土地=自分という感じで。

北川:ですから僕は、​​旅館のことだけでなく町を面白くすることをやり始めたんです。ちょうど、僕ら若い世代が地元に帰ってきていた時期でしたし、SNSも出始めていたので、イベントや勉強会をはじめたんです。特に、月一でやっていた「スリッパ温泉卓球大会」は盛り上がりましたね。地元の同業者たちと一緒に、宿のお客さんを交えてスリッパをラケット替わりにして卓球をするという(笑)。7年間続きましたけど、その間に少しずつ、町がドライブしはじめた実感はありました。

深井:地元の人々が自分でイベントを計画することは、それまでは珍しかったんですか?

北川:地方の観光地って、集客を外部の会社に依存してしまう傾向があるんですよ。たとえば行政から補助金が出ても、それを東京の代理店なんかに丸投げしてしまう。すると代理店は子会社に投げ、子会社が孫会社に投げ……という感じで、地元が直接扱えるお金は1/10になっていたりする。

深井:うーん、そうですか……。

北川:いちど、そのことを東京から来た広告代理店の方に言ったら、逆切れされてしまいました(笑)。「『地方創生』という言葉を作ったのは俺たちなんだぞ」って。そんな感じですから、地方のためであるはずの補助金も、結局は東京を潤すだけなんです。

深井:補助金に依存すると、本当にダメになっちゃいますよね……。

北川:別に広告業界の人を批判するつもりはないですよ! いい方も多いんです。それに、自分で町おこしをやってこなかった僕らの側にも原因はありますから、何とかしようと思って、あの手この手で町を盛り上げるための情報発信をしています。
旅行代理店が主導する今の旅行って、「海が見える豪華露天風呂」とか「伊勢海老づくしの夕食」とか、スペック競争になってるじゃないですか。でも、それだと僕らは大資本がバックにあるホテルには勝てないんです。
じゃあ僕らにしかない「資本」は何かというと、代々受け継がれてきたこの土地の歴史ですよね。だから、地元のことを知ってもらおうと情報を発信しているんです。
もちろん、大資本と組むやり方もあるとは思います。でも、株主の論理で動くことになりますから、土地への愛が薄れそうで怖いんですよ。

深井:おっしゃる通りで、大資本の論理をあらゆる場面で押し通すのは、限界があると思います。小さい温泉街はなくなりますし、それは幸せなのかなって感じる人は多いと思う。代理店頼りで生きていける時代があったのは確かだけど、それが変わりつつある。

自分のことだけ考えるのは合理的じゃない

深井:僭越ながら、ここまでお話を伺って、どうして北川さんが法人COTEN CREWになってくださったのかが分かった気がします。もともと自我の範囲が広くて、つまりメタ認知ができる方だから、僕の言葉が響いたんじゃないかなと。

北川:そうかもしれませんね。法人COTEN CREWになったのは本当に直感で、深井さんの言葉が響いたから。それだけです。自分と同じ感覚の持ち主を見つけられたから、その考え方を広めるお手伝いをしたいのかもしれません。

深井:ありがとうございます。ご実家と土地の長い歴史を背負う、北川さんらしいお考えですね。
自我の範囲が狭いと自分の利益の追求が至上命題ですから、経済的なリターンがない法人COTEN CREWになるメリットはないですよね。でも、北川さんは自我の範囲が広いから、法人COTEN CREWになってくださったんだと思います。本当にありがたいし、分野こそ違いますが、北川さんがやっていることと、僕らがやろうとしていることは似ているのかもしれません。
自分のことだけを考えるのは、一見合理的なようで、実は合理的じゃない。僕はそう思っています。

北川:同感です。

深井:ところで北川さんは、大村屋で音楽のイベントなども開催されているみたいですね。

北川:「音楽を楽しめる旅館」にしたいんです。旅館は画一化されてしまいましたから、それに抗って、僕が代表のうちは僕の個性を出したい。それは、やっぱり音楽なんです。
3000枚くらいある私物のレコードを自由に聞けるようにしたり、旅館の中でライブやフェスをやったり……。5月からはバーテンダーを入れてMusic Barもはじめました。

深井:ええ、めっちゃ楽しそう!

北川:楽しいですよ。それに温泉がありますから、ライブが終わってから電車に乗らなくていいんです。温泉で汗を流して、そのまま寝られますから。さっきまでステージの上にいた演者も一緒に温泉に入ってきたりして。

深井:ヤバい、最高すぎます。旅館でフェスという発想はなかった……。

北川:そういうユートピアみたいになって、音楽好きの間で「音楽なら嬉野温泉」みたいな雰囲気ができれば嬉しいですね。温泉も宴会場もある旅館は、音楽との相性はすごくいいはずなんですよ。

深井:僕、音楽も温泉も大好きなんですけど、両者のコラボは思いつきませんでした。今度、ぜひお邪魔させてください!


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