『ポラーノの広場』を探しに
青がベースの表紙は、山の稜線を際立たせる夕陽の朱が昼と夜の境界線をひいています。野原を歩く3人の男の足元を白いつめくさが、地上の星のように仄かに照らしています。どこへ向かうのでしょうか。
この絵本は、ミキハウスの宮沢賢治絵本シリーズ『ポラーノの広場』。幻想的な絵を描かれたのは、みやこしあきこさん。燦々と降り注ぐ日の光やランプの灯り、星あかりなど、様々な光を描き分ける光の表現が印象的な画家さんです。
ー わたくしどもはもう広場の前まで来て立ち止まりました。
そのページで、私の手も止まりました。
星あかりの野原を歩き続け、探していた広場の明かりは煌々として、画面の向こうに光源があるかのように見えました。日頃、愛用しているiPadのモニター上で見ているみたい。「わぁ、きれい!」と思うと同時に、野原の真ん中に忽然と現れる灯り。ポラーノの広場ってどんな場所なんだろう?
もちろん、みやこしあきこさんの表現力が素晴らしいのですけど、その原画を印刷で再現するのは難しいのではないかな、印刷にまつわるお話を聞いてみたいと思うに至りました。
なんとも都合の良いことに、賢治シリーズを印刷されてる丸山印刷株式会社さんは、私の大学時代のゼミの同期のTさんが勤めています。Tさんに取材出来ないかな? と相談すると、早速、掛け合ってくれました。お忙しい皆様のお時間を調整してくださいまして、長時間お付き合いいただき、本当にありがとうございます。
丸山印刷さんは、兵庫県高砂市のJR宝殿駅から歩いて約5分。創業は1914年と100年を超す老舗です。3階ロビーの壁面にはリトグラフの石版が飾られ、歴史を物語っています。対応してくださったのは、プリプレス課課長の今井一磨さんと、なんと、賢治シリーズを企画編集されてるフリー編集者の松田素子さんにもお声掛けくださり、絵本づくりにかける熱い想いをお聞かせいただくという贅沢な機会を設けていただきました。
「賢治ほど、多くの研究者やファンがいる作家もいません」と、松田素子さん。「ですから、これまでも多くの作品が絵本化されてきていますが、このポラーノの広場が、ここまで本格的に絵本化されたことは、おそらくなかったと思います」とのこと。賢治作品は、空想のように見えて、実は、実際に見たものや風景が発想の源になっていることが多いそうで、『ポラーノの広場』を絵本化するにあたっては、様々なものを実際に調べる必要があったそうです。
物語が書かれた当時の時代背景。服装。物語に出てくる小さな道具ひとつひとつ。大正時代の、しかも貧しい小作人である少年たちであることも考慮に入れた上での彼らの身長まで・・・。物語の舞台のモデルのひとつになった競馬場の跡地は、岩手県に本当にあって、その場所を古い地図で調べていたら、なんと、物語の記述と矛盾しない場所にちゃんと教会があった。しかもそれはロシア正教の教会だということもわかり、絵本の中の教会も(最初の見開き)、それを反映して丸屋根で描かれています。などなど、絵を描くにあたって、それを説得力のあるものにしていくための様々な下調べは「編集者の仕事でもあります」とのこと。
「絵本化にあたって、画家さんは、その物語を自分なりに、どこまで読み込むか、どう読むかが問われます」と松田さん。「賢治さんは生前出した、『注文の多い料理店』という童話集の序の文に[これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません]と書いています。みやこしさんという画家が、ポラーノの広場という物語の一語一句を、どう噛み締め、味わったか・・・、それが具体的な絵のすみずみにまで現れて、この絵本になっています。編集者はそのための伴走者であり、産婆のようなものです」と松田さんは言う。
そうして、様々な試行錯誤を繰り返して出来上がった絵が、印刷所に託されます。
『ポラーノの広場』では、みやこしさんは木炭をメインに鉛筆と水彩絵の具を使用されています。木炭で描かれた絵は表面がこすれないように、原画の扱いに特に注意が必要です。印刷される時に、みやこしさんが気にかけておられたのは、黒の濃淡の豊かな調子が再現されるかどうか。黒一色で描かれたページを見ると、紙の目をなでるような薄いグレーから影の中にある微妙な黒のグラデーション。やわらかなタッチもぼやけることなく、締まるところはベタにつぶれることなく締まっています。実は黒一色ではなく、僅かにシアンやマゼンダといった他の色が入っているんです。モノクロのページではなくカラーなんですね。肉眼では見えません。写真は家にある普通のルーペですが、これでも見えません。印刷用ルーペで見せてもらって、やっと確認できる程度に僅かな量です。
ここからは、丸山印刷の今井一磨さんにご説明いただきました。まず、おさらいしますと、印刷というのは C(シアン)M(マゼンダ)Y(イエロー)K(キープレート) の4版4色で構成されています。CとMとYの組み合わせの割合で無数の色を再現します。KはBL(黒)です。
黒一色の絵だったら、Kの版だけで済むんじゃないかと思いますが、それでは豊かな階調が再現できません。そこで、ほんの僅かに他の色を入れることで、黒の階調に深みが出るのですね。色を入れ過ぎて人間の目が色味を感じ取ってしまうと「色浮き」してるという状態になり原画の再現から遠のいてしまう。
色浮きしない程度にごく僅かに入れる。これを可能にするのに GCR(gray component replacement) という処理があるのだそうです。
どういうことかといいますと、CMYKの、CとMとYの3色を均等に混ぜると、黒に近いグレーになります。ここにKを足すと深みのある黒になりますが重くもなります。ですので、CMYで再現される限りなく黒に近いグレー成分をKに置き換えるのがGCRということだそうです。
みやこしさんの木炭で生み出す、ふんわり軽くやわらかい黒もカリッと締まった黒も同時に再現可能にするGCRですが、肉眼では分からないほど僅かな色をどれだけ入れるかを決めるのは人間。美しい黒だと感じる人の感性で判断します。
ひと通り、お話をお聞きした後、社内を見学させていただきました。同期のTさんもいるプリプレス課では、みなさん、デスク上のMacに向かって黙々とお仕事中。一見、普通のオフィスですが、見慣れない機械はドラムスキャナ。原版をスキャンするところを見せていただきました。円筒状のドラムにデモンストレーション用の絵を貼り、こんな速いの? と、思うくらいに高速回転しながらスキャンしていきます。ドラムの直径は30cmくらいでしょうか。結構な湾曲です。そりゃ、原画の扱いに特に気を使う必要がある訳ですね。
このスキャンの時点で4色分解され、データ化された画像がMacのモニターに現れます。ソフトは、Photoshopを使用されてるんですね。意外と普通というか、家庭にもあるようなソフトを使用されてるんですね。モニター上で、先述のGCRをかけると、CMYKのパーセンテージがぐんと変わり、黒がキリッとしたように見えました。
また、一部分、例えば人物の服の黄色だけ明るくするとか、そういうことも出来ます。画面上で切り取り、その部分だけ色バランスを変えるという細かい作業が行われます。上がってきた校正刷りを見て、ここはもうちょっと、などと戻された色校正を修正するのは、こういった作業です。
今井さんのデスクにあるMacで『ポラーノの広場』の作業工程のデータを一部拝見。
こちらのページは地面の青く光って見える部分が囲われています。妖しげな感じもする青の色は、みやこしさんも気にかけてらしたそうですが、このような調整を経て納得の青になったのですね。また、丸山印刷さんには発色の良いオリジナルのインクもあるんだそうです。
そして、私が思わず手を止めたポラーノの広場を前にした場面には、原画を再現するために、印刷データ上で様々な調整をした跡がありました。「きれい」と感じるページに仕上げるには、それ相応の理由があったのですね。
松田さんに「印刷の方々と、しっかり意思疎通ができて、画家や編集者の要望を、印刷所の方が深いところで理解してくださることが大事なんですね」と言うと、松田さんは「ええ、その通りです」とうなずき「印刷に関わる方々は、絵描きさんと同等の表現者だと思っています」ときっぱり。
「人間の目は錯覚を起こします。原画を見たときの多様な筆致が伝えるダイナミズムと、4色の網点で再現された表面も均質な印刷物で見るのとは印象が違って見えます。原画を出来るだけ忠実に再現するということは、印象の差を調整して近づける作業が必要になります。色校正をする時は、この部分の赤を抑えてほしいとか、青味をトルとかそういう指示よりも、この木をもっと遠くにあるように感じさせてほしいとか、この熊は、物語の中でこういう意味を持つ存在なんだとか・・・作品に込められた、そして絵描きさんが願っている気持ちや思いを伝えることが大事だと思っています。そうすれば、それを受け止めて、具体的にどうすればいいのかの技術的なところは印刷所の方が判断してくださる。私の方が『もうこの色はこれで限界かなあ』と諦めかけていた時も、印刷所の方の方が『もうちょっとやってみる』と言ってくださって、見事なものが出てきたことが何度もありました。気になる部分の周辺とのバランスなどで調整するなど、方法は様々ですが、技術がデジタル化していっても、最終的に判断するのは人間の感性、感覚なんです」
今回、お話をうかがい、清々しいほどの「信頼」を感じました。原画の制作では解釈の違いや様々な理由で描き直しも起こり得る。画家に伴走する編集者は、励ましもするし、さらなる希望も出す。画家は何度も描き直すことだってある。「でもそれは画家の力を信じ切っているから言えることです」と松田さんは言う。「目的地は一緒。いい絵本にすること。同じ目的地に向かっているのですから、私も頑張らなくちゃいけないんです」。
印刷屋さんも、そういう過程を経て原画が出来上がってることを知っている。本当に良い絵本を作ろうとしている。出来るはずだと信じてる。その先には、良い絵本を待ってる読者がいると信じてる。読者に届けるのが私の仕事だ。私にもやることがあると思いました。
物語のなかで主人公たちがたどり着いたポラーノの広場は、思っていたような場所ではありませんでした。でも、探していたような場所がないのなら、自分たちで作ればいいのだという希望にあふれたラストで、この物語は幕を閉じます。そこに、賢治のメッセージが聞こえたような気がしました。
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