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悲劇のヒロインぶってしまったせいで、いつまでも卒業式の呪縛から逃れられない女

「人生で後悔していることはありますか?」と聞かれたら
迷わず、「卒業式に出なかったこと」だと答えます。

私はのらりくらりと生きているので、
高校受験に失敗しても、酔っぱらって大醜態をさらして(一度や二度じゃないけどw)も、就職活動で内定一つもとれなくても、
そのときこそは「うわー、まじかー」と思うものの、たいていは3か月も経つとどうでも良くなってしまいます。

そんな頭の緩い私が、唯一後悔しているのが「卒業式に出なかったこと」です。大学卒業は7年前ですが、いまだにこの時期になると心がザワつくのです。。まじで。

今回、コロナ騒動で全国各地で卒業式が中止や時短などになり思い描いていたような最後を迎えられずモヤモヤしている人がたくさんいると思います。

辛いよね。楽しみにしてたのに。
しかもどう考えても自分のせいじゃないのに。
「コロナのせいで」「安倍のせいで」「教育委員会のせいで」「校長のせいで」「PTAのせいで」・・・
そんな風に、怒りや悲しみ、憤りに震えている人もきっといるでしょう。

でも、そんな心がかきむしられるような感情に支配をされたまま今を過ごしてしまうと、いつまでもそこが心に引っかかって前に進めないんです。

今回、どうしても他人事に思えなくて、このnoteを綴ります。
私が言いたいことは一つだけ。

「思い出を諦めないでほしい」-

私が卒業式に出られなかった訳

卒業式に出なかったことを後悔していると冒頭に書きましたが
実は、「出なかった」と表現できるようになったのは割と最近です。
それまでは「卒業式に出られなかった」ことを悲しい思い出として語っていました。

7年前の3月2日、娘が産まれました。

大学4回生のときに妊娠し、そのまま学生出産をしたのです。
卒論を出した時点で、一人暮らしをしていた家を引き払い、夫の住む名古屋に引っ越し、出産に備えて準備をはじめました。

そして3月1日、単位発表の日。
ギリギリだった単位もなんとか取れて、無事卒業確定。
そして、翌日陣痛がきて、出産と大騒ぎでした。

さて、卒業式が執り行われたのは産後3週間の日。
常識的に考えて、そんなタイミングで新幹線にのって卒業式に出るなんて無理ですよね。

物理的に無理かどうかではなく、
母親的に無理なんです。(ココすごい重要)

そもそも預かってくれる人もいないし。

「卒業式どうするの?」
「いやー、まぁ、普通に無理だよね。。」
「まぁ、そうだよね…残念だね…」

という会話を何十人もの人としました。

コロナで中止になった卒業式と違って、
私の場合は、自分の無計画さが原因じゃねーかという話は置いておいて、
「こういう状況になってしまった以上、諦めるしかないんだ」
というのが、一般的な答えだと思うし、私自身もそう考えていました。

いつまでも卒業式の呪縛から逃れられない

それから年月が過ぎ、スクスク育つ子どもに癒されながら幸せな日々を送っているはずなのに、どうしてもこの時期になると心がザワザワして落ち着かなくなるのです。

諦めたはずの卒業式が、毎年毎年私の心をえぐりにくるのです。

「いや、卒業式なんて、実際出ても大したことないよ」
とよく言われます。

本当にたぶんその通りで、出られなかったと思ってるからこそこんなに固執してしまうだけで、実際に普通に卒業式した人からすると大したことじゃないとか全然あると思うんです。
今回コロナで卒業式が中止になった人のなかにも、「別に最初からそんなに興味なかったし、なんとも思わない」という人もいるはずです。

でも、卒業式とか成人式とかって、ココ!というタイミングが絶対的に決まっているので、そこを逃してしまうとやり直すチャンスがないんですよね。
いくら、卒業式に出たかったからといって、次の年に全然知らない人の卒業式に紛れ込みたいわけではないし、それでは何の解消にもならない。

私は結婚式もしていませんが、こちらはなんとも思っていません。
やりたくなったらやればいいやと思っているからでしょう。

とはいえ何年もウジウジしている自分にも嫌気がさしてきて、
「そろそろ精算したい」と思っているタイミングで今回のコロナ騒動が起こったのです。

「出られなかった」ではなく
「出なかった」ことへの後悔

改めて考えなおしてみて、すぐ気づいてしまったのですが、
私の心を荒ぶらせるのは
「出られなかった卒業式という式典」
ではなく
「本当はすごく出たかったのに、出ないという選択をした自分自身」
に対する後悔でした。

というか、たぶんもともと気づいていたんです。
でも「卒業式に出られなかった自分」という仮面を脱ぎたくなくて気づかないフリをしていただけなんです。

そして、卒業式という式典そのものに固執しているというよりは、
卒業式を通して得られる思い出、学生生活の締めくくりを求めていました。

あの日、私はどう頑張っても卒業式に出ることはできなかったか?
式典だけでなく、他の思い出一切も諦めるしか道がなかったか?

と問い直すと、答えはNoです。
でも、自分がやりたいことをやるための方法を模索しなかった。
そこに対する後悔が今も尾を引いています。

悲劇のヒロインを気取り、耳を塞いでしまった

ではなぜ、私は卒業式に出る方法を模索しなかったのか?ということを考えてみました。

お恥ずかしい話ですが、私は「悲劇のヒロイン」的なポジションに酔っていたのです。(そんなキャラじゃないですけど)

「いかんともしがたい状況で、どうしようもないんです。他の方法はないんです。私に選択肢はないんです。」という顔を周囲にしていました。

母親になった以上、自分の気持ちを優先させてはいけない。
新生児を置いて、自分だけ卒業式になんていけない。
そもそも誰に預ける?
夫は仕事だし、そもそもあの人は何時間も世話なんてできないだろう。
新生児を新幹線に乗せて連れていくなんて非常識だ。

誰に言われたわけでもないのに、
できない理由がどんどん頭の中に浮かんできます。

別に、母親になったという喜びや責任と、
学生として卒業式に出たいという希望は両立してもいいはずなのに
当時の私はそれを許されないと勝手に考え、
「この状況に甘んじて、自分の気持ちにふたをするしかない」
と思い込んでいました。

そして次第に、そう思い込む自分に酔っていたのです。

だってみんな同情してくれるし、
励ましてくれるし、褒めてくれるんだもん。

次第に、「できない自分」を作り上げるために思考になってしまって
「できるかもしれない可能性」には耳を塞ぐようになっていました。

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自ら可能性をつぶしていくフェーズに

卒業式が近づくと、友人や家族がやんわりと
「本当にこのままでいいの?なにか手伝えることない?」という申し出をしてくれました。

しかし、そのころ私はすでに「卒業式に出られなかったかわいそうな状況を受け入れている悲劇のヒロイン」発動中なので、「う~ん、でもまぁ、難しいよね。。」とどうしようもない感じを醸し出しながら申し出を拒否していました。

象徴的なのが夫との会話です。

卒業式の2日前くらいに、
突然夫が「お前、卒業式いいの?どうしてもなら会社休めるか聞いてみるけど?」と話しかけてきました。

私はブチギレました。

「いやいや、無理に決まってるやん!?仮に自分が仕事休んだとして、何時間も新生児の面倒見れると思ってるわけ!?普段やってないのに?馬鹿なの?ほんま、こっちの状況とか気持ち考えてもの言ってほしいわ」

と彼の申し出を全力で拒否したのです。
本当はめっちゃ行きたいのに。笑

現実問題として、無理じゃない?という気持ちと同時に、
「行きたいなら行く?」というこちらに選択権を委ねた申し出に、
そこは「俺が見ておくから行っておいでよ!」だろうが!!と本気で腹が立ちました。

今思い返すとせっかくの善意を無下にしてしまい申し訳なかったなと思うのですが、実はこの夫との会話も、自分の中でなかったことにしていました。

「どうしようもない理由で、卒業式という思い出を得ることができなかった私」のためには、夫には非協力的なポジションでいてもらわないと困るからです。

本当はちゃんと覚えていたのですが、
「平日だし、旦那も仕事でさ~、行きようなかったわ」と言っていました。

「思い出を諦めてはいけない」

長い長い私の身の上話もここで終わりです。
ここからは、今回卒業式が思うような形でできなかった方々へ向けてメッセージを送りたいと思います。

私は長い間、「卒業式に出られなかった」ことを悲しんでいましたし、人生唯一の心残りだと思っていました。
でも、本当は「自分の気持ちにフタをして、本当に欲しいものを得るための努力をしなかった」ことに対してひたすらに後悔していたのだと7年たってようやく気付くことができました。

今回、コロナの影響で外部の力によって強制的に卒業式ができなかった方と
自分が原因で出られない状況を作ってしまった私とでは随分状況が違います。

でも、一つ私の経験から言えること。

もし、今「コロナのせいで卒業式が台無しになった!最悪!」と、不満や憤りで心がいっぱいになっているのだとしても、その負の感情に溺れないでほしいです。

卒業式が台無しになった話をツイートすれば、きっとたくさんのいいねや同情のリプライが届くと思います。
たくさんの人に励まされて、同情されれば気持ちがスッとするかもしれない。でも、きっと満たされない。

「コロナで卒業式が台無しになって同情されるべき自分」の仮面がどんどん分厚くなってしまうと、
本当はもっと大切だったはずの、“卒業の思い出を作る機会”さえ潰してしまうことになります。

コロナのせい、偉い人たちのせい。確かにその通り。
でも現状に不満を吐き続けていたとしても、せっかくの卒業という思い出が彩られることは絶対にありません。

あとね、「卒業式が中止になったかわいそうな人」なんていう認識はあっという間に他の人からはなくなります。
ここで思い出を諦めてしまうと、自分だけがいつまでも固執して何年たってもウジウジしてる私みたいになってしまいます。

今、たくさんの大人たちが、皆さんの卒業を台無しにしないために動いてくれています。卒業写真を無料で撮影しますよ!というような声も少なくありません。

ぜひ、甘えてほしいと思います。

「記念に残る卒業式をやりたかった!」という心の声にフタをする必要はない。物わかりの良いフリをふる必要もない。

きっと、この卒業を最高の思い出にできる方法がまだ残っています。

突然、この言葉が浮かんだので
最後はスティーブ・ジョブズ氏の名言で締めようと思います。
(意味あってるかなw)

Stay hungry , Stay foolish.

卒業、おめでとう。

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