望月

千年後の望月

昨夜は満月(正確には22日の深夜)でした。
満月は別名「望(もち)」といいます。
21日の京都新聞に興味深い記事が載っていました。

藤原道長の有名な歌
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
 欠けたることも なしと思へば」
を詠んでから千年だというので。
この歌は「望月の歌」と呼ばれることもある
ように時の権勢(実質的に朝廷の最高権力者)を
詠んだ歌として知られています。

https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20181121000167?fbclid=IwAR0N20DaLqvDmsbvyvGaDTB4O6g5lAjfOAnCglhwz3dRwcZKIj7IbbxMh2o

歌の意味するところは、
「この世の中は自分のためにあると思う。
 今宵の満月が欠けているところがないように、
 自分も不満がまったくないことを思えば」
なんという境地でしょうか。

栄華を極めるとはこういうものなのでしょうか。
見ようによっては傲慢にも映る道長ですが、
内心はどうだったのでしょう?

月は満月を過ぎれば欠けていきます。
それと同じように栄華は長続きしないということを
知っていて、それを内心憂いていたともいえます。
事実、これから後に、道長は病魔に侵され、
一族にも不幸が襲ってきたということです。

それはともかく、道長が「望月の歌」を詠んでから
千年後の満月が見えるということに身が震える
思いを感じます。
千年前は今よりも冴えた夜空に輝いていたでしょう。
それと変わらぬ月光が千年の時を経ても降り注ぐ。
その美しさとロマンを味わいたいと思ったのです。

今夜の月は十六夜です。
一日過ぎましたが、今夜も晴れれば同じような
月光を浴びることができると思います。
ほんの少しでも栄華の象徴たる望月の光で、
身を浸してみませんか?(清めての方がいいかな)


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