二つの未来

 私の好きな言葉に「常に現代は二つの未来の分岐点である。」というのがあります。ここでいう未来とは、「明るい未来」と「暗い未来」です。すなわち、未来はいつも二つ用意されていて、現代はその二つの選択肢を選べる「時(分岐点)」に置かれているのだというものです。
 このことは現代という時代についての話だけではありません。私たち一人ひとりの人生においても「常に今という時は二つの未来の分岐点」なのです。自分がどのような未来を選択するか、いつもその意思決定は自分の手にあるのです。「暗い未来」や「絶望的な未来」という一方だけしか用意されていないということはありません。「明るい未来」や「希望に満ちた未来」も同時に用意されているのだと思います。もちろん自分ではどうにもならない社会的環境的要因もあるでしょう。しかしながら、人間は意思の持ちようで、望む未来への道筋をつけることができるのだと思います。
 私たちは何らかの岐路に立たされたとき、次の一歩をどちらに踏み出すか、その時の発想がその人の人生を決めるのだと思います。ポジティブな発想をするかネガティブな発想をするか、それによって描かれる未来は変わってくるのでしょう。
 人間の発想は、人類が思考することをはじめた時代から歴史を創ってきたのでした。歴史の中の大きな転換期はその二つの分岐点の先にあったのでしょう。現代もやはり二つの選択肢を「今」持っているのではないでしょうか。
 私たち自身もその時代の主役の一人なのです。十人いれば十個の物語があり、それぞれの主役なのです。自分が自分の物語の脇役ということはありません。ある人の物語では脇役で登場しても、自分の物語の中ではその人が脇役で自分が主役なのです。そして、そのストーリーは自分の発想が決めるのです。人の影響が強くても、最後の選択肢は自分の意思決定によるのです。自分が発想することをやめたり、意思決定することを放棄すれば、物語は自分の手を離れ主役はいなくなります。主役不在の物語は幕が降りるのをただ待つことしかできません。
 未来に対して盲信的であってはいけません。それは二つの未来が見えていないからです。いえ、分岐点すら見えなくなっているからです。分岐点は一つだけではありません。いろいろな局面で現れてきます。そこでの選択によって、選んだ道の修正もできることを忘れてはいけないのです。
 「絶望からは何も生まれない。希望が新たな道をつくるのだ。」こんな言葉もあります。道は用意されていても、道を選ぶのも、また新たに道をつくるのも分岐点に立つ自分自身です。
 私たちは自分にできることを安易に諦めてはいないでしょうか。知らずのうちに、自分の可能性を自分で閉ざしてはいませんか? 年齢や性差、環境などで理由づけて、判断してはいないでしょうか。何より、自分のことは自分で決めるというその基本を忘れてはいないでしょうか。自分の未来を自分で決める。そのことの意味を考え、その重さとリスクさえも楽しめるようになりたいものです。
(初出:2003.04.11)

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