学びの場での縁は深くなる

どんな出会いも「縁」には違いないが、
その出会いの場が「学び」であると、人は結びつきやすい。
深い縁を感じやすいのである。
それは学ぶという行為が自分をさらけ出すことである
ことが多いからに他ならない。
学びの場への主体的な参加がそうさせている。

学ぶ目的は個々に違っても、その場を共有する
テーマがお互いに共通項を生むからなのだろう。
だから一方的な講義だけで終わらない双方向性や
参加者全体に生まれる学びの空気が、初対面であっても
程よい殻の破れ感が快感を生むのだと思う。

もちろんこれは講師や主催者(運営)の性格や力量に
よるところもあるのだが、その場に集う人たちの
タイミングによるところがあるように思う。
主体的参加が偶然的なタイミングを、より必然的な
タイミングに変えることで、出会いが自分にとっての
必然になるわけだ。

出会いを必然と認識すればそれをきっかけとする縁は
深いものと意識するのも不思議ではない。
「心地よい場」にいれば気持ちは高揚する。
それが学びの場であると、
その高揚は学習され、記憶に刻まれる。
その時その場にいた景色と一緒に。
そこには当然学びにきていた人たちが映り込んでいる。

それは出会った人たちの中でも、
頭に付箋紙をつけてメモをしておくようなものだ。
何かの縁を感じる。それも深く、濃く、
縁を感じても不思議はないよね。

似たようなことは学校や大学時代にもあっただろうし、
仕事の中にも学びとしてはあったと思う。
だけども少し違うのは、オトナの学び舎で縁を感じた
人たちが集まって新しいコミュニティやグループが
自然とでき上がることである。
これはとても生産的といえる。

本当によい縁というものは生産的なものだ。

これは学びでも仕事でも恋愛でも同じ。
生産的であるかどうかで縁の本質というものはわかる。
おもしろい。実におもしろい時と場を共有している
学びは素敵な縁を連れてくる。
学ばないと損だよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?