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海の響

  私の耳は貝の殻
  海の響きをなつかしむ

ジャン・コクトーの詩です。訳は堀口大学。
ジャン・コクトーのたった2行の詩が
有名になったのは堀口大学の訳があったから
と言われるほど見事な訳詩になっています。

「響き」は、原詩を直訳すると「騒がしい音」、
「なつかしむ」は、原詩を直訳すると「愛する」
になるそうです。
「海の騒がしい音を愛する」とはどういう意味を
表現しているのでしょう。わかりますか?

「海」は「母」の象徴です。
母の胎内にいるときの記憶、
母がこれから生まれてくるこどもにかけた声、
それは愛情に充ちたものだったでしょう。
それを胎内で聞いていたときの音はすべて
これから生まれ出ずる世界の愛おしさに
通じたのかもしれません。
自分に向けられた母の声が世界のすべてだった
ときの記憶をなつかしむようす。
それは愛することすべてのはじまりの記憶です。

また「耳」は貝に似たカタチをしています。
その耳の奥深くに海の声(母の声)を聴いた。
貝の殻はその比喩になっています。
はじめて聴いた母の声は生まれ出ずる世界の
もっとも美しいものとして記憶されたのでしょう。
貝がそれを伝えたのです。

胎内記憶については諸説あるようですが、
3人に1人は記憶を持って生まれてくるという
話もあります。
その記憶があろうがなかろうが、胎内で聴いた
愛情に充ちた母の声をなつかしむ(愛する)
気持ちはどこかに残っているものと思います。

海を眺めると理由もなく安堵感があるのも
次第に心が落ち着くのもその現れかもしれません。
日頃忘れている遠い記憶。
その一番奥にあるのはこの世でもっとも美しい
母の声、そのものかもしれません。


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