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常識の脆さ

常識は意外と危ういものだ。
一部の人たちにとっての常識が
それ以外の人たちにとっては非常識になる。
「これは常識だ」と簡単に切り捨てることが
できない場面があること、生じることを
知っておく必要がある。

常識は必ずしも正論を意味しないはず。

常識とは単に多数派に共通した
価値観が生み出したもの。
だから少数派にとっては非常識になる。
だから少数派の考えや意見は
異端であり異質なものとして見られる。

しかしながら、この状況はかなり危うい。
多数派と少数派が拮抗してくると
常識はかなり危ういものになる。
だからそうならないように多数派は
嘘を撒き散らす。さも正論のように。
エセ正論で多数派の常識を守ろうとする。

常識が纏う正論という鎧はかなり手強い。

常識という言葉の魔力に囚われないこと。
常識を疑うことが大切ではないだろうか。
常識の背景を知ることが大切というべきか。
常識は自然界の摂理とは違う。
時代や社会のあり方によって変わるものだ。
常識の多くは普遍性のあるものではない。

そして考えなければならないのは
常識化を進めるために半ば強制的に、
それでいて、それを気づかせないで
多数派を形成しようとする力があるということだ。
これを権力という。
多数派の維持は彼らにとって必須なのだ。

常識化は意図的につくるものではない。
常識化は強制力をもってつくるものではない。
強制力をもった時点で自由はなくなる。
不自由な常識はもはや我々の身にはならない。


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