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稲穂と麦穂

初夏の空の下では麦秋を迎えようとしている。
穀物の多くは秋に実りの季節を迎えるが、
麦だけは初夏が実りの時だ。
梅雨に入る前に刈り入れを終える。
だから「麦秋」といえば初夏を指す。季語では夏。

稲と麦は作物として成長しているときは
姿形がとてもよく似ている。でも
実りのときを迎えると決定的な違いに気づく。
同じような黄金の穂波を持つのだけれど、
その違いを知っているだろうか?

稲穂は頭を垂れるけど、麦穂は天を向く。

意外と知らない人が多いのではないかな。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」
という故事成語はよく知られている。
意味は周知の通り、
人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、
小人物ほど尊大に振る舞うもの。

もう少し深読みすれば、立派な人ほど
相手を敬うことができ、謙虚なのだよと
教えてくれている。
松下幸之助はこれを信条としたという話は
有名である。

さて、一方の麦穂はどうなのかといえば、
それほど注目されなかったのか、
これといった故事も名言もないようだ。
しかし、昨今、私は麦穂が気になっている。

同じような穀物なのに
なぜ麦穂は頭を垂れないのか?
刈り入れどきまで、真っ直ぐ天を向くのか?

麦はもともと乾燥地帯の植物でした。
そして、麦踏みという言葉があるように、
成長過程で踏みつけられ育つわけだ。
冬の霜柱にやられないように踏んで鍛えるのが、
麦の育て方なのだ。

これも生き方の一つだと思うようになった。
麦穂のような生き方は、尊大なのではない。
決して、人を見下しているわけでもない。
その時の最後まで、天を目指すべく真っ直ぐに
力の限り生きているのだと思う。

稲穂と麦穂、どちらが優れているかという
話ではなく、どちらも人としての生き方を
そこに見ることができるような気がする。

私は年齢的には遥か遠くに青春を見て、
今はもう白秋の時を迎えようとしている。
だからこそ、稲穂のような心持ちを忘れずに、
生きたい。その一方で、
麦穂のような生き方を選びたい気持ちは
持っていたい。持ち続けていたい。

稲穂も麦穂も関係ないや、という人間では
人生終わりたくないと思っている。

おまけの話を一つ。
稲穂は「いなほ」と訓読みだけど、
麦穂は「ばくすい」と音読みなのも面白い。


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