大事なご報告とnote投稿終了のお知らせ
皆さまへ大事なご報告があります。
5年間一緒にいたパートナーと別の道を歩んでいくことを決心いたしました。応援のメッセージをくださっていた皆さまには、申し訳ない気持ちがありますが、これが自分の心に正直に向き合った結果です。
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「実家に帰り、両親と話す。」
そんな言葉にすれば平易になってしまうことが、わたしは正直しんどくて、モヤモヤして、苦しくて。
なんでこんなに、かなしいんだろう。
なんでこんなに、やるせないんだろう。
そんな思いを2年に渡って抱いてきました。
そして、そんな思いをすればするほど、両親の愛がわたしにたくさん注がれていることに気付かされました。
先日も実家に帰ると、わたしの好きな手作りカニクリームコロッケが用意されていました。大好きな無花果も剥いてくれました。
口下手な母は、いつも料理でわたしを迎え入れてくれていました。 どんな話をする時もその前に、いつもわたしの好きなものを用意してくれていました。
分かり合えなくて、たくさん泣いて。
理解してほしくて、何度も嗚咽して。
上手くいかないことばかりでした。
ある時、両親との対話を試みました。これでもかというくらい疲れてしまったのです。その晩、わたしは彼の待つ家に帰りたくなかった。帰って話をすることが怖かった。
その時、自分の心の一番奥深くにあったものが音を立てずに、風にさらわれる砂のようにさらさらと崩れていく感覚がありました。
きっとこの前から予兆はあったんだと思います。ただ確実に、その時がわたしの大きな変化の時でした。
絶対に親から受け入れられることはない。
その感覚を持ってしまった時、一度空っぽになりたいと願ってしまったのです。大事な人に理解されない苦しさから解放されたかったのです。
わたしにとって大事にしたい人はパートナーだけではありません。だから強行突破で結婚に踏み切るようなことはしたくなかったし、大事に育ててくれた両親や家族から理解をしてもらえるようにできればと思っていました。
結婚しなくてもいい。
パートナーと自分たちらしいあり方を模索したい。
ずっとこれまでそう思っていました。
でも透明で分厚い水族館の水槽みたいな関係を親と続けることに、わたしは息苦しさを感じていました。向き合えば向き合うほど、しんどくなっていきました。
彼とその話をすることも徐々にわたしのなかでは負担になっていきました。応援してくれていた多くの人の顔を思い出しては、苦い気持ちにもなりました。
誰にも、何にも、縛られない、ただのひとりになりたい。
何一つないがらんどうの時間が必要だと思うようになりました。
ちょうどその頃、わたしは子宮頚がんの疑いがあり、不安で寝れない日々を過ごしていました。入院も手術もしたことがなければ、健康診断にも引っかかったことがない健康そのものだったわたしには、かなりのストレスがかかっていました。
止まらない不正出血、慣れないピルの副作用、下腹部の違和感。「どうしてこんなタイミングで?」「なんで今の私に?」とその時は心がその環境に全く追いつきませんでした。精密検査の結果が出るまで、精神状態もかなり波があり、急に泣けてきて仕方ない日も何日かありました。
6時間寝ないと吐き気がしていたはずのわたしの睡眠サイクルはいとも簡単に狂ってしまい、ダイエット目的でパーソナルトレーニングに行っていた時に比べても体重はごっそり減ってしまいました。寝れない食べれない中で、ぶっ倒れなかったのが今でも不思議です。(精密検査の結果は、異常なしとのことでした)
そんないろんな環境変化があるなか、ある人がわたしに言いました。
「noteを読んで、自分ならこんなに(自分が好きな相手を)悲しませたくないって思った」と。
その言葉を聞いた時、わたしは泣き崩れました。ああ、そうか。わたしはどこか無理をしていたんだと気づかされました。悲しいってこんなに辛い感情だったんだと、心が千切れてしまいそうになりました。もしかして、こんなに無理をしなくていいのかなとふと思いました。そう思うと、見えない重荷が少し軽くなったような気さえしたのです。
これまでずっと気丈に振る舞っていたとは思います。
何も知らない人から「彼氏いるの?結婚しないの?」と聞かれる時も、事情を知っている人から「最近進展あった?」と聞かれる時も。わたしはきっと外向けの仮面をかぶっていたんじゃないかと今なら思います。あっけらかんとすることで、自分にのしかかっていたものを少しでも軽くしたかったのだと思います。でもそうやって仮面をかぶることで、より自分を苦しめてしまっていたのかもしれません。
5年間一緒にいた人と離れる。それはわたしにとって、初めての経験でした。こんな決断をする日がやってくるとは思っていなかったので、自分の口からその言葉がするりと出てきた時、不思議な感覚がありました。
そのあと、いろんなことがありました。彼はわたしの決断を理解しようと懸命になってくれました。なんども涙を流す姿を見ました。それでも、わたしの決意が揺らぐことは一切ありませんでした。
別れた後も次の家が決まるまで、数週間同じ家で暮らしました。もし同じような状況になりそうな人がいたら、速やかに別の家で暮らすことをおすすめします。
相手の精神バランスの揺らぎを感じてしまうたびに、わたしは自分を責めました。そして、揺らぎの幅を感じるたびにこわくなってしまいました。双方の事情を知っている人から「大丈夫?」と思いもよらぬタイミングで連絡が来た時、わたしはまた家で一人泣き崩れてしまいました。 噎ぶように泣いて、疲れ果てて寝ました。
彼が悪いわけではなくて、大事に思ってくれていたからこそ今までと違うバランスになってしまったのだと思っています。だから、速やかに別の家で住むべきだと思うようになりました。
不思議なことに別れるという決断をする前後から、わたしが大切に思う人たちから立て続けに連絡が来たり、会う予定ができたりということが続きました。この決断には何かの導きがあったのではないか、と連絡が来るたび思いました。
「彼がもしトランスジェンダーじゃなかったら、すんなり結婚できていたのかな」と自分に問うと、そうではなかったと今なら答えを出せます。
お互いの家族のこと、育ってきた環境、それぞれの核となる部分、相手に願うこと、自分が大切にしたいこと。いろんな部分で小さな不一致があった。それがこの結果なんだと思います。
LGBTだから、性的少数者だから、この結論に至ったとは全く思いません。もちろん、きっかけのひとつではあるとは思いますが。
確信を持って言えるのは、お互いを紐帯するものがいつのまにか解けてしまって、同じ歩幅で進むことができなくなったということです。
それでもこの5年間は、わたしの人生においてとても大事にしたい日々です。たくさんの幸せをもらいました。それは変わりません。彼と出会えたから、自分の考え方を広げられたし、自分が何を大事にしたいのかがクリアになったのは事実です。
この先、一緒に歩むことはないけれど、彼に健やかに逞しくしあわせでいてほしいと勝手ながら願っています。別れを切り出したわたしが、しあわせを願うことなどおこがましいってわかっています。笑止千万、無礼も承知です。それでも、そう願わずにはいられません。
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未公開のnoteを実はたくさんしたためていたんですが、今日限りでnoteの更新は終了にします。ご質問にも答えたかったのですが、心理的にどうしても公開ボタンを押すことができませんでした。申し訳ありません。
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わたしの心の深淵を抉り取って言葉にすること。それが意外にも、誰にも言えない誰かの悩みに寄り添える効果があるとnoteを書いていて気づかされました。
なんどもリライトして、最後のnoteを完成させました。皮肉にも今までで一番時間をかけて、心を砕いて書いた文章です。こんなわたしの決断が、この告白が、誰かの悩みの解決の一助になるのなら、とてもうれしいです。
稚拙な文章ではありましたが、最後まで、そしてこれまでご覧いただきありがとうございました。
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