石とゴミのおかげか。

画像1 数年前、古本屋で見つけた。ヘッセを売り飛ばす人がいるなんて…。もう別の翻訳のものを持っていたし、全体に汚れていたけれど、買った。何かわからないシミ。黄ばんだ背表紙。手放したどこかの誰か。ありがとう。わたしは改めて、ヘッセの音楽で自分の血を編み直した。そしてまた、掘って、耕して、種をまいて、成長を待ち、喰らうのだ。
画像2 なにを足したわけでもないのに、やりたいことをやりたいように、もくもく汗垂らしてやった後、朝の残りのすまし汁の味が深くなった。煮しまったわけではない。ありがたいご褒美。
画像3 砂の温度は一様ではない。陽が斜めに傾くと、足跡は数度低い。やってみて、知る。これを繰り返してきたし、これからも続けるだろう。大概の哺乳動物が15億回くらいで、心臓の鼓動を終えるという。今日、わたしは、ヘルマン・ヘッセ、翻訳者や出版社、書店、買った誰か、古本屋、数年の時間経過の中のあれこれを通過し、その全てのつながりの中の点の1つとして、震えた。なにがどうあるべきかとか、かくあれとか、吹き飛ばされた。必然の再会。この感謝は届く限りすべてに捧げる。

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