道案内

画像1 昨日、わが子のアドレナリン50倍出たという道を案内してもらった。しょっぱい干し梅を舌で転がしながら、獣も通らない急斜面。
画像2 パイプが壊れて噴き出す山水。
画像3 山道をつけるために削られた跡。でも、生きられる限り生きたんだろう証。
画像4 たぶん、この冬の大雪で倒れて裂けた杉。皮には、クロモジとはまた違う芳香の固まった樹脂が浸み出していた。
画像5 俺た以外居ないね。いやいや、居りますがな。鹿のコロコロウンチも散りばめられていた。途中、二手に分かれて帰った。普通、離れてはならんのだが、どうしてもお互い譲れなかった。わが子はかつて駆け抜けた場所を、わたしは一番家に近いところに抜けられるルートを探して、知らない斜面を降りた。山の全体を大づかみできて、お互いの力量を認めていたから、…うーん、でもよくないだろうね。一般的に。鼓膜のそばの拍動に、二度ほど振り返って耳を澄ませた。足音以外はそんな静寂とみちづれ。
画像6 通りがかりに出会った牛さん。携帯を構えただけで、目ん玉転げ落ちそうなくらいビビっていた。その表情にわたしも怖くなった。
画像7 子供のころ、仲良くした山とは違う。ただ同じことがそこここで起こっているのだろう。山の木が売れる間、人が入っていた。今は、補助金目当てで無駄に土や岩を削る。そして、山は崩れる。倒れたまま木は、苔で眩しい緑に包まれていく。人の気配はない。ときおり鳥と沢の音。牛は俯くことすらできない。何日か後には、だれかの食欲を満たすのか。そのための仔をつくるのか。なにもわからない。山も牛も語ることはない。うつくしく見映えよく整えられた風景や姿ではない。それだけに、このとき胸に迫るものがあった。

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