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茶の間でさんぴん茶飲みながら

昨日の午前、テレビを観た。
ベトナムはメコンデルタ地帯の暮らしの一部が紹介されていた。
循環型農業のこれからを模索して、20代の若者が以前ホームステイしていたお家を再訪した様子。
バイク二台がすれ違えるくらいの踏み固められた土の道。行商は舟。川べりに魚を取る仕掛け網やら風の力で種籾をより分けるおばちゃんやら、暮らしと自然が当たり前に一体化してる。

田作りの風景が全く違っていて、驚いた。
こっちは、育てた苗を泥田に植える。
子どもの頃、家族や親戚で一列に並んで植えて、苗の列を真っ直ぐに揃えるのに糸を張っていたような記憶がある。(今は田んぼの端っこ以外ほとんど機械だけど。)
そこでは、田んぼに種籾をじかに手作業で撒く。引いて転がせば種籾が4〜5列ほど真っ直ぐに穴から落ちる道具も使って、楽々と泥田に撒いていく。
…まず機械なくても出来ることにびっくりした。

一番驚いたのが、米で三期作していること。(…改良されたハイブリッド種だろう。)
一期で20万円位の稼ぎになるそうで、おかげで子どもたちを学校に行かせられると、お父さんは話していた。
また高校生の息子が当たり前のようによく働く。
家のそばの池に網を投げ、魚の大きいのだけ売る。籾米を50キロ単位で袋詰めして、運ぶ。
80過ぎのおばあちゃんは、魚を捌いたり、小さいのを池に戻したりしていた。
大人子ども関係なく、出来ることで暮らしを担う家族の生活の豊かさにうたれた。

鶏はほぼ放し飼い、豚は小屋の中で1日4回ホースで洗われ、糞尿はこまめに小さな水路から池に流され、魚の餌のプランクトンを育てる。
米のとぎ汁も豚や鶏の餌に混ぜられる。
無駄がない。

なんというか、何かするとすぐゴミが出る、私らの暮らしとのギャップにのたうった。
すすんで家の手伝いをしましょうとか、PTAとか頑張らなくてもいいのだな。
年いっても施設の空きがなくて病院巡りするとかしなくてよくて、たぶん居場所はずっとわが家にあるのだな。

このメコン川の豊かさと共生出来る人たちは、ベトナムでもほんの一部なんだろう。
戦争中は昼間防空壕、夜中に米作りしてたとか。灌漑やら道作りなどかなり頑張ってやったみたいだ。
戦争の頃を覚えていない・知らない世代に変わりつつある今。
あのこれからに期待する雰囲気。
近所で田んぼしてる年配のじいちゃんたちにはあまりない。若いもんは街で仕事。たまに機械を動かすくらい。
観ながら70過ぎの母は、あんな暮らしはいやだと言っていた。
わたし、ちょっと好きだけどな。いやいや、かなり憧れる。無理そうだからなおのこと。
自分の足元をどうするか、再び考えさせられた。

写真は、もう何十年未使用の籾殻を飛ばす機械。
ベトナムでは、大きなタライに入れた種籾を、おばあちゃんが頭まで挙げ、風を利用して選り分けていた。
大変だろうなとも思うが、それが出来る身体にしてきたんだろう。
なんだか、そのおばあちゃんの姿に、軽やかさと逞しさのほか、わたしが還りたくても還れない健やかさも感じた。
家族で囲むタイ米のご飯、美味しそうだった。
家族と一緒に自分のしたことが、血肉になる感じ、イイなぁ。
そういうの好きだ。
今、観てよかったよ。

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