分岐点

画像1 ゴリラのドラミング。一昔前まで、攻撃前の威嚇行動と理解されていた。今となってはナンセンスな話で、逆に戦いを避けるため、餌のありかや危険を知らせるための行動として認識されている。わたしも含め、ひとはわかった気になってしまう。まだ世界の半分、ううん、数パーセントすらわかってないのに。何がわからないかもわからないこと、あるんだろうな。
画像2 じっと観察していると、整合性があるように見えるひとも、わたしも矛盾だらけで、糸を解く間もなくこんがらがることが、多々あるように思える。オリの向こうで、キングコング時代のドラミングするひとを見て、あれは人ごとでなく、わたしもやっているんだわねと独りごちる。普段はいい人でも余裕をなくせば、檻の中から誰もいない虚空にすごむ。そこにいるのは、自分以外の何者でもない。
画像3 小さな日々の軋みが、そこにある道を歩ませない。ゴリラの方がよほど自分自身を愛し、ここにあることを祝福しているようにみえる。この自分の、些細にみえる感情の延長線上に、戦争が成り立ち、支えられてるのではないか。そう思うことが、ある。わかったと思う前に、するべきことはたくさんある。そう自分に向けて話す、この夜。

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