夏物語

川上未映子の思考回路に
概ね
ついていけてるとおもう

いたってふつうのことまで
秒単位で嵐のような言葉が襲う
いたってふつうのことは
ふつう見逃すものだか、
隅っこまで目が行き届き
端くれまで息を吹き込む
それは最近読んだ
推し、燃ゆにも
感じたことだ
自分のような凡人と
小説家と言われる人の違いを
つくづく思い知らされる

遊佐リカのところで
谷崎潤一郎が話題に出る
作家同士、
文章表現のことを言ってるらしい 

のちにマルケスも出て
根の部分がみえる

自分のことだが、
高校のころ東横線沿線の従姉妹の下宿先で、2人畳に寝転がって天井を見ながら、宇宙が無限に続いてると思うと恐いと言ったことがある。従姉妹は、頭の中で思考が無限に続いていくことの方が恐い、と返した

文中ではAIDについても
否定し肯定し
また否定し肯定し
が繰り返される

底が見えないような暗中模索は
女性特有のものなのか?
村上春樹にも聞いてみたい気がする

周五郎も周平も
おもえば
物事を俯瞰して見、
職人技で書き連ねたような文体だ

正否は別として

例えば
喫茶店に見知らぬ女性客が入ってくるとする
その時、
女はディテールを見るけど
(〇〇のトートバッグ持ってる)
男は全体を見る
(学生っぽい)

となにかで聞いたことがある

それぞれのメリット、デメリットがあるようで
ディテールを見る女性は
内容を深くを掘り下げられるが、
部分に囚われるあまり
なかなか前へ進めない
全体を見る男性は
状況把握に優れ、
コントロールできるが
部分を見落として失敗することがある

とざっくり

帯の村上春樹のこの本へのコメントに、
『しっかりと、、』という形容詞が二度も使われてる
このしっかりと、とは、
ウザいくらい
しつこく
と聞こえなくもない
 
他に目が移せないほど、強迫不安神経症さながら、猛烈な勢いで各ディテールが気になり始めて止まらない。底なしに落ちていく様子が不気味だ

『わたしから街や人は見えるけど、どこからもわたしは見えない気がした』P286

パニック障害を起こしたことがある自分は共感できるし代弁してくれてる気さえする


「楽しいクリスマス」から

紺野さんのとこ

「もう一軒行こうか」
主人公のキモチが分かりすぎて
泣いてしまった

まんこつき労働力
確かにすごいワードだ
母親が嫌いと言いきる紺野さん
娘たちより暴君の父親の方が大切だと言いのけた母親

あれは言ってはいけない、
ていうか、
あり得ないでしょう

3歩譲って、

紺野さん自身が
シングルマザーは無理
やっていけないと言うように、
家を飛び出して娘を養うことなど考えられなかった母親は
もっと父を敬え、それが自分たちのためでもあるんだからと
促したのかも知れないし、
強い言葉で自分に言い聞かせてたのかも知れない

でも、いくらなんでも
言葉選びが失敗してる

子供は取り替えがきくけど
(これからも産めるという意味)
旦那は取り替えがきかない
なんて、どの口で言えるか

・・なんか深掘りしてしまった

後半まだまだ続くので
楽しみだ


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