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I was finally able to say

小さい頃は、なりたいものと自分とが繋がっていなかった。夢を抱き続け努力をし続け、いつかその時が来たら、魔法少女が変身するみたいに「何者か」になれると思っていた。
立ち止まって振り返ればわりと最近まで「何者かになれるし、なるべきだ」と考えていたところがあった気がする。こんなふうに ふわっとした表現をしてしまうくらい無意識で、だからこそ、とても頑固に思っていたのではなかろうか。


だけど、私はどこまで行っても私だ。どれだけ過去や未来を振り返ってみても、そこには私しかいない。さまざまに表情を変えた私が、いくつもいくつも続いている。

気が遠くなるほどどこまでも地続きである「私」の果てに、いつまでも私と私と私を繰り返して、それでようやく「これまでになれなかった私」になるのだ。

私は私にしかなれないし、
私になれるのは私しかいない。


こんなことは、これまでに誰かによって散々言い尽くされて来たことだ。
「月並み」とか「手垢の付いたような」と言われる範疇の物事で、べつに声を大にして主張するほどのことではない。

それでも私にとっては革命的な「発見」だし、「閃き」のレベルで腑に落ちたこの瞬間、かちりと世界が変わった。「既に言われている」という理由でその輝きが貶められることはないし、ここに来るまでに しょうもない疑問(と敢えて言う)の数々をアホほど捏ね回し尽くしたのが、無駄だったなんてこともない。

長々とした道程の末に、私は私自身として、この場所にたどり着いた。
既に何千万人が通った後だったとしても、そのことは、本当に、心から誇るべきだと思うのだ。
太宰治ではないが、苦悩の数なら並大抵の人には負けない自信がある。
(その大半が自分で勝手に肥大化させた苦悩であることも認めるが、この際それもいいことにしよう。苦悩であることには変わりないのだから。)
なので分かる。苦悩はそれ自体がいつか、贅沢な宝物になる。だから苦悩した過去の私を、今の私が褒めてあげたいし、感謝したい。
きっと そのようにして35歳の私も、29歳の私の頭を撫でてくれていることだろう。それは他者に愛されることと同じくらい、時にはそれ以上に、幸せで仕方ないこと。
私は私に祝福されている。


そう思うと、私は私をもっと認めてやりたい。
当然この私まで辿り着けたのは私の力のみによるものではなく、苦悩する私の傍で諭したり励ましたり見守ったり怒り狂ったり叱ったりしてくれた人々がいたおかげだし、そりゃもうそんなことは どこにも足向けて眠れないほど よく分かっているけれど、その上で思う。

誰かに対するのと同じくらい、自分に対しても感謝したり胸を張ったりしていい。
誰よりも私と向き合い、私と付き合い続けたのは、紛れもなく この私であると。


先の見えない未来は、それでも「私」で満ちあふれている。
それは、それだけで まず ひとつ、幸せなことだと ようやく笑えた。
どこまでも私は、私でいいのだ。

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