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ここ数日の

十六夜月なのに星までも明るい。
不思議な夜だ。

エビ中の りななんが亡くなった。
以前ももクロちゃんについて書いたことがあったけど、同じ事務所のグループなので なんとなく気にしていた。
ファンと言えるほどではないけど、メンバーの顔と名前と出席番号は分かるし、それぞれのキャラも漠然とは分かる。新曲のMVがアップされたら見るし、お気に入りの曲もいくつかある。そういう程度には好きなグループ。
エビ中は子どものように無邪気で純粋できらきらしていて、個性派揃いのグループなのだけど、その中でりななんは中和剤みたいな子だった。と、私には見えていた。
「見た目は大人、中身は子ども」のキャッチフレーズ通り、話し出せばちょっと幼いくらいの時もあるのだけど、そういうタイプの子にありがちな出しゃばりとかはない。パフォーマンスでもそれは同じで、自分から前に出ることはないし、歌割とかでもソロはあるものの印象的なパートは少ないし、ステージの上でも決して目立つわけではない。
けれどもグループ1の長身の持ち主が「決して目立つわけではない」っていうのは、私が思っているよりずっと すごいことなのだと思う。そういう子がいたから、個性が強すぎるメンバーたちでも、うまく混ざって化学反応を起こしたのだと思う。

18歳の子が亡くなったってだけでもやりきれないのに、それがどんな子か知っていると、尚更やりきれない。
しかもアイドルだなんて、死の対極にいるような、しかも りななんみたいな、きらきら にこにこ まっすぐな子が。
どうも感情にうまく整理がつかなくて、他のことも何にも話せなくなってしまった。

辛い思いをしているであろう、ご家族やメンバーやスタッフさんや、ファンの人たちのことを考えた。
自分が亡くした人のことを考えた。
自分が大事な誰かを亡くしたら、とも考えた。
自分が死ぬことも考えた。
誰かが死んでしまうことの意味を考えた。
自分が生きる理由も考えた。

でもそれは全部、ただの想像でしかなくて、もっと言ってしまえば、答えなどわずかにも浮かばず、問いの前に立ち尽くすだけの押し問答だった。
それがここ数日の、ひとつ。


BUMP OF CHICKENの新曲を聴いた。
スタジオライブ中継という形で、演奏の映像と歌詞が一緒に流れた。
私はBUMP OF CHICKENの新曲を初めて聴くとき、ほぼ間違いなく泣いてしまう。好みかそうじゃないかに関わらず、何でかぽろぽろ涙が出てくる。

今回も そうだった。
でも今回は明確な理由があって、どばどば泣いた。声を出して泣いた。

ここにいたいと思う場所がある。
一緒にいたいと思う人がいる。
そこに相応しい自分でありたい、この場所と、この人と、肩を並べて、屈託なく笑っていたいと いつも思っている。
目指したい景色は分かっていて、でも 目的地は分からない。たまに現在地も分からなくなる。
分からなくなったり、見えなくなったりして、大事なのに手を離してしまいそうな時もある。
自分が情けなくなって、目を背けたくなることもある。
気持ちが届かなかったり、何かが変わっていったりして、いつまでも このままではいられないって思い知ることもある。

でも、それでも、ここにいる。
何度も諦めかけた、真ん中を、確かにここに持っている。

そんな私の感情を、そっくりそのままのように歌い上げてくれた。
この言い方がおこがましいことを承知で、そう言いたくなるほどの圧倒的な、「私のような誰かを歌った唄」だった。

それが嬉しくて、勝手に伝わって繋がったような気になれて、あまりに嬉しかったから、泣いた。
そんな人たちがいることが嬉しくて、泣いた。
大事なものが どれだけ大事か思い知ったから、泣いた。
好きだって気持ちは、ただそれだけで、涙が出る。
それがここ数日の、ひとつ。


吹奏楽の大会があった。
今回はアンサンブルの大会だったから少人数での編成で、私は舞台に上がるメンバーにはなれなかった。
練習に励むメンバーを見て、そこにいたかった悔しさとか、置いていかれそうな焦りとか、力になりたいのに何もできないもどかしさとか、いろんな感情に翻弄された。
そういう諸々の感情とは、まだ折り合いをつけられていない。

本番の演奏を舞台裏で聴いていて、終わったとき、「これで金賞じゃなかったら審査員が馬鹿だ」と思った。
でもメンバーは「全然駄目だった」と言った。結果は銀賞で、私は「悔しいな何でだろう」と思ったけど、メンバーは「まぁそうだよな」って顔をしていた。
詳しい結果を見ればあと一歩、ほんとうにほんの小さな一歩で金賞に届くくらいのところで、それを見てますます悔しくなった。メンバーもさすがに同じように悔しがっていたけど、講評を読んで「確かにこれは、出来ていないこととか考えてもいないこととかが書かれているから、本番だけどうこうじゃなく、本当に足りなかったんだ」とも言っていた。
そこをこれから埋めて行きたい、その闘いの中には私も一緒にいたい、と思った。

それから道中が楽しかったこととか、他のパートの人達もたくさん手伝ってくれて嬉しかったこととか、そういうことを忘れないでいたいなって思ったし、感謝していたいし、返していきたいなって思った。
それがここ数日の、ひとつ。


好きな人にちょっと早めのバレンタインを渡した。
その場のみんなにも配って、その日の用事が終わった時に、「おまけ」って言ってぽんと押し付けるように渡してしまった。
去年はもう少しまともに出来たんだけど。笑。
窓付きのパッケージにカードを貼って、カードの裏に、気付くか気付かないか分からないけど、メッセージを書いた。
去年はちゃんと日頃のお礼と、尊敬とはぐらかせる程度の「好き」を、見えるように書けたのだけど。笑。
今年はふたつだけ書いた。「いつもありがとう」「いつも好きです」と。
いつも好きですって、何だろうね(笑) でも正直に素直に書いたらそうなっちゃったんだもん。
そういうやり方で精一杯だったんだけど、『精一杯のふりしてずるいだけなのかもしれないな』って気持ちもないわけじゃなくて、かと言って じゃあどうすれば良かったのか?ってのは思い浮かばなくて、自分に呆れたり渡せたことには喜べたり馬鹿だなって思ったり一人で照れてじたばたしたり、している。
それがここ数日の、ひとつ。


もうすぐ仕事で携わっているプログラムが一旦終了するので、関わった人達で打ち上げを計画している。
思ったより多くの人が集まってくれそうで、とても嬉しい。わくわくしている。

仕事といえば その一方で、どうがんばってもうまくやれない人がいたり、別のプログラムはいまいち うまくいかなかったり、みんながばたばたしてて思うように進まなかったりもしている。
それがここ数日の、ひとつ。


いろんなことがあって、いろんな感情があって、その全部が文字になるわけではなくて、ああでもない こうでもないと むにゃむにゃしていたのだけれど、それはそのまま大事に持っておくことにしました。
いつか言えるかもしれないし、やっぱり言えないかもしれない。それはそれとして、ぎゅっと握りしめておく。

同時に、目の前にあるものを もう片方の手で握りたい。どっちも大事にしたい。どっちも大事だから。
私ほんと そのへん下手くそで、すぐ見落としたり歪んで見たりしちゃうんだけど、何と言うか、きっとそれは「やろうと思って、自分にとって正しい方法を探せば、できるようになる」ことなんだと思ったから。


好きな人がいるのです。
好きな人たちがいるのです。
いつも傍にいてくれる人、どこにいるかも分からない人、もう二度と会えない人、会ったこともない人、様々ですが、みんな好きなのです。
私はその人たちに「好きだよ」と言い続けたい。そのために自分の命を使いたい。
そうやって私を幸せな気持ちにしてくれる人たちに、ありがとうって ちゃんと伝えていたい。そのために長生きしたい。

って、思いました。そんな夜でした。十六夜月なのに星までも明るくて、ぴかぴか輝いた夜でした。
おやすみなさい。

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