見出し画像

背筋を伸ばす、まっすぐに。

明日 誕生日を迎える。
ここ数年、誕生日が近くなると神社に行く。
今年も1年 生き延びました、ありがとうございました、というお礼が ひとつ。
これから1年の決意と誓いを報告するのが ひとつ。
そして おみくじを引いて、1年間を どうがんばるか決める。

神様に話すと、やっぱり気持ちが しゃんとする。
だから神社ならどの神社でもいいのだと思う。思うけど自分の中では区分けをしていて、「日常的なお話は、近所の名前も分からない桜の綺麗な小さな神社で。1年の報告は、諏訪神社で」と決めてある。

諏訪神社は長崎でいちばん大きな神社だ。秋には おくんちの舞台になるところ、と言ったら、県外の人にも通じることがある。
「お諏訪さん」と呼ばれて親しまれていて、長崎人にとっては「神社と言えば諏訪神社」くらいの勢いはある。
実際には やたらたくさんの神社があるのだけれども。

そこにいる神様が違うんだから お詣りする先はきちんと選ぶべきだし、他の神社だって大好きなのだけど、諏訪神社を選んだ理由が ひとつだけある。

とことこと階段を登って(わりと この感じでも正しいと思う)、振り返った時の景色が見たい。から。

長崎というのは変なところで、山と町の区別がない。
とにかく平地が少ないもんだから、どこにだって何だって建てる。だいたいは平地に繁華街的なものが出来て、商業施設だとかビルだとかが埋め尽くすものだから、民家とか学校とか、場所によっては病院とかが斜面に積み上げられていく。

それを見ると、あぁ、長崎だな、と思う。

私の好きな まち。
私が生きてきた まち。
私が生きていく、まち。
それが視線とおんなじ高さにまで広がる、この へんてこな町。

階段を登りきって、振り返った瞬間、あぁほんとに この町が好きだなぁ、としみじみ思う。
そして少し弾んだ息を整えながら その景色を眺めていると、自然と心が穏やかになる。お前はこれでいいんだよ、大丈夫だよって、背中の諏訪の杜に励まされているような気になる。
それで私は よしっと何かを決めて、神様に自分を報告しに行く。

不思議なもので、心から報告すると、決めたことを肯定するようなおみくじが手元に届く。
それはやさしい言い方の時もあるし、厳しい言い方の時もある。でも とにかく、肯定してくれている。少なくともそう思えるようなメッセージをくれる。
長くやると恥ずかしいなぁ、ぱぱっと済まそう…とかやると、ぜんぜん駄目。何にも読み取れない、汲み取れない言葉の羅列になる。

それは神様が判断しているのか、自分の心持ちで同じメッセージでも印象が変わるのか、どっちなのかは分からない。でも とにかく真剣にやらないと無意味になることだけは分かっているし、それまでに すっかり決心モードになっているから、自然と心身がぴんとする。

神様の前で隠し事をするような生き方を、私はしたくない。
それは自分を騙す生き方をしてきた、ってことだと思うから。

まるごとを そっと包んでくれる お諏訪さんで、今年も私の背筋は伸びた。私は私を騙さずに1年を過ごせた。来年も再来年もそうありたい。ずっと背筋を伸ばしていきたい。
体は多少歪んでますが、それでも まっすぐ、伸ばすのです。

ここから先は

0字

¥ 100

サポート分は、各種制作活動の材料費&研究費に使わせていただきます(・∪・) その他「○○やって」「○○に行ってレポート書いて」などのリクエストがあれば教えてください!