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カルボナーラと私。

365日、3食ずっと主食はカルボナーラです。

そう告げられたら、どう思うだろう。
まじ天国!カルボナーラ超好き!と思う人もいるだろうし、どうせならペペロンチーノのほうが良かった、と思う人もいるだろうし、カルボナーラ大嫌いなんですけど…と思う人もいるだろう。
当然カルボナーラが悪いわけじゃない。カルボナーラの魅力はたくさんある。ただそれが自分に合うか合わないか、好みの問題っていうだけ。

カルボナーラ、べつに嫌いじゃないけど、気分じゃない日もある…って人もいるだろう。私は たぶん、このタイプ。
嫌いじゃない、寧ろ好きなほうに入ると思う、けど今日はカルボナーラだけは本当に心底気分じゃない、でも食べなきゃいけない。ほんとにもう、真剣に嫌、相当気が滅入る。
今日はおいしく食べられたけど、明日はどうか分からないな。またこんな気持ちでカルボナーラを食べるのは嫌だなぁ。そもそも、食事って もっと楽しいものじゃないのかなぁ。何でこんななんだろう。やだなぁ。
きっと、こんなふうになる。

ひとことで言えば、こうだ。
カルボナーラとともに生きていけるほど、私はカルボナーラへの情熱がない。

カルボナーラ、は要するに、私自身。
すごく好きな日もあるし、どうしても許せない日もある。他の誰かが見れば魅力があるかもしれないって分かってはいるけれども、それは自分の好みではない。でも どんな気分の時も、自分と付き合うことはやめられない。ほんっとに本気で今日だけは まじ勘弁、って日でも、自分は自分でしかいられない。それが時々重荷で、しんどい。
こんなふうに思うってことは、私はちゃんと私を好きじゃないのかなって思うけど、カルボナーラさいこー!みたいな日だってあるから、どんどん分からなくなっていく。

許せたり、許せなかったり。
認められたり、られなかったり。
好きだったり、嫌いだったり。
その時々で私は違うから、私のことも、見方が変わる。
好きだよって言えている時でも、また嫌いになるのかなって うんざりしている。仕方ないから我慢する不快感を知っているせいで、いつかまたそうなるんだろうなって予測した瞬間、ほんっとうに嫌になる。

これはもう、好みの問題なんだ。どうしようもない。
カルボナーラとミートソーススパゲッティを取り換えたいけど、そういうわけにもいかないから、私はカルボナーラである私を受け入れる努力をしなくちゃいけないんだ。

そう思って努力してみたけど、どうにも苦痛で仕方なかった。
生きていくって、こういうことなの?
こんなふうにぐちゃぐちゃになってまで、自分って好きにならなきゃいけないものなの?
面倒臭い。楽しくない。そこまでしたくない。
無責任って言われるかもしれないけど、それが正直な感想。
だってそれほど自分に情熱ないもん。無理矢理がんばってみたって、心からの欲求じゃなくっちゃ続かない。

そんな自分は、ほんとに駄目だなぁ。
心底ダメ人間だなぁ。

って思いながらうじうじして、今日もお風呂で一時間くらいこのことを考えて、深い溜め息で髪を乾かしていたら、ふと閃いた。

カルボナーラに何か足せば、もしかして好きな味に変わっちゃったりしたりするんじゃ?


それだーーー!

私にしては珍しく名案!
そうだ、それだ。そうすればいいんだ。

カルボナーラというベースは変えられない。だったらそこに足せばいいんだ。っていうか、足すしかないんだ。そうだそうだ、何か足そう。
何を足せばいいかはよく分からないけど、とりあえず手当たり次第に足してみよう。もしかしたら途中で死ぬほど不味いものにも出会うかもしれないけど、とにかく、そうしてみよう。

私は人間レベルが低いから、きっと世の中の人は こういうことくらい気付いているんだと思う。それも、もっと早い段階で。
でもいいのだ。私は今これに気付いたから、今から足していくのだ。

いろんなものを足してやるんだ。
いろんな味を見つけるんだ。そうしたら、ノーマルだって楽しくなる。
楽しくなれる。そんな予感がするよ。


(尚、写真と本文は一切関連性がありません。)

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