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着地点は、たぶん、ポジティブ。

最近、わりと鬱々する。

SNSにはえらく充実したようなことを書いているけど、ふいに自分のやってること全部が無意味な気がして、そんなことばっかりやってる自分も無意味な気がして、うわーっと何も出来なくなったりする。

べつに自分が好きでやってることに、意味とか理由とかなくっていいのに。
認めて欲しいなぁとか称賛されたいなぁとか、よく分かんない欲のほうが時々強くなってしまう。
自分のそういうとこ、やだなぁ、って、鬱々したりもするのです。

そんで内面に対するダメ出しをしていたはずなのに、いつの間にか外面に対するダメ出しに及び ますます鬱々する…という、ネガティブのお手本のような状況になる。
もう長いことネガティ部の絶対的エースだったもんで……今もエースの座は譲ったけどそこそこの実力者なもんで…。

やたらネガティブに鬱々するのは たぶん小説を描いているせいもある。
人間になる前のことを大いに参考にしながら描いているので、あの頃の気持ちが鮮明に蘇っているのだと思う。
私は過去を過去にするのが あんまり得意じゃないから、こういうとき、便利だけど、不便。

人間になりきれなかった理由の大半は8歳の頃にあって、これで私はいくぶん苦しんだ。端から見れば半分くらいは自業自得だったかもしれないけど、とにかく苦しんだ。
16歳でようやく吐き出しはじめることができて、24歳でようやく形にすることができた。

その最中も、そのあとも、私は8歳の私の願いを叶えるために生きてきたふしがある。
8歳の私の欲求を満たし、8歳の私に大丈夫だと伝え、8歳の私に、私がこんなに幸せになれたことを教えるために、いろんなものを費やしてきた気がする。

だってあの頃はほんとうに辛かったし、8歳の私はひどく可哀想だから。
私はあの私を放っておけなかった。あの私に何かをしてやれるのも私だけだった。

8歳の私や、16歳の私や、24歳の私が抱いていたものを もう一度引っ張り出し、捏ね回し、改めて傷付き、改めて立ち直って、思った。

そろそろ私は、私のために幸せになってもいいのかもしれない。
あの頃の私ではなく、どこかの私でもなく、この『私』のために。

確かに辛かった。しんどかった。生きていたくないと思い続けていた。
でもそう思っているのはこの私ではない。あの私だ。そうだろう?
だったら私は、私を解放してやってもいいんじゃないのか。
どうだい8歳の私、なんだか君、ずいぶん安心したように見えるけど。

長いこと私の真ん中で泣いていた8歳の私は、いつの間にか泣き止んで満足そうな表情をしていた。
もう大丈夫だった。
これからだって もちろんこの子のことは大事に、大切にしていくけれど、もうこの子のためだけに生きなくてもいい。

20年以上もがんばってくれて、本当にありがとう。8歳の私。
おかげで32歳の私が生きています。

不思議なもので、どうやらこの件は8年刻みで変わっていくらしい。
ってことは、40歳になったら、誇れる私になってるかしら。
そんな未来を想像するのは、けっこう嬉しい。

このステップも小説に描けたらいい。
まだ形も流れも曖昧だけれど、とても愛しい物語になると思うんだ。

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着地点は、たぶん、ポジティブ。

小李ちさと

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小李ちさと

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Cosmo Chisato * from space a:kumo