ある愛着障碍のケースの経過記録と、催眠と愛着問題の親和性、についてのつぶやき

はっきりと伝えているのに、どうしてここまで聞かないことができるのか、どうしてここまで思い込んで俺の予定を勝手に作り上げることができるのか、と思う程、最近、ひどいな。
親が自分のことを見てくれてさえいるならそれでいい、自分が大事。可愛がられるべきは自分。この自我はもともとかなり強い子ではあったが、小さい子供だからこそ出せる親への甘えが出てきたか。
それと同時に、精神と魂はまだ小さい子供のこの存在は、今まで40年近く、ずっと精神と魂を成長させる機会を奪われてきた。いや、奪われるよう選択する人生を後生大事にしがみつくことを、自分に課さざるを得なかった。
だから、自分への愛情や自分のためになることを、必死に跳ねのけ聞かないよう反応してしまう。
遂に今、まさにそこにメスを入れ、その反応をしないよう、できないよう、更には本当に自分で(そのように)したくないと思い願い決めようとするまでに到達している。
そして、そんな方法をとらなくとも、愛情や自分のためになることを跳ねのけずちゃんと吸収しても安全なのだ、寧ろその方がどんどん安全で全ての時間安心と感謝に包まれていることができる、と、どんどん知り、実感するようになっている。

まさに、愛着が再び(いや、もしかしたら初めてかもしれない)形成され始めている途方もなく大きな段階だ。

彼女の人生が、180度、いや360度、いや540度変わろうとしている真っ最中だ。

…その中で、本当に、自分の人生が素晴らしくひっくり返ろうという感覚を、いきなりやるとこれは恐れと驚愕が勝ってしまって大変なことになるが、彼女はそれが本当に自分のための、しかも無条件に与えられているものなのだと自分の中に何とか届かせ、ゆっくりとしかし着実に信じ、身を預け耳を傾けるようになっている。
だが、自分の中で何十年かけて培った、言うことを聞かない、愛情を受け取らない、自分の糧になるものを跳ねのける、自分の中から湧き上がってくる感謝に気付かない、目を背ける、という反応(しかも70%以上は無自覚無意識で起こっている反応)を、この条件反射反応を消去していくのは大変なことだ。
それなのに、彼女にはどんどん浸透していっている。
だからその代わりに、俺が他で言っている部分を、支離滅裂に捉えたり聞かないという反応をとっているのかもしれない。

彼女は、最初はそれこそ”俺(相手)のこと”を、表面的には口では良く聞いてきた。こちらの予定や交友関係を逐一気にした。
が、真っ向からそのまま受け取って答えてしまうわけにはいかなかった。彼女は、口では相手を気遣っているふりをするという条件反射プログラムを身につけていたが、実際相手のことなどどうでも良いからだ。自分が見て欲しいから、口であれこれあらゆる手段をとる。
それでこちらの予定や人間関係でも正直に答えてしまうと、本人には自覚にまではあがらないがまるで「なんで私にそんなこと言ってくるの」というのと同じ感覚である。「なんで私が聞かなきゃいけないのか」犠牲者ポジションと、「私が聞いてあげてるのよ」の救済者ポジションである。
ちなみに、後者の救済者ポジションもあったから、「答えない」わけにもいかなかった。ある程度は彼女に救済者を演じることで満足させる必要はあった。が、僅かでも多すぎれば彼女はあっという間にゲームに持ち込み「私には受け止められないのか」「私にはわからないのか」「なんで私ばっかり聞かなきゃいけないのか」完全に犠牲者ポジションの落とし穴にすっぽり嵌り込んで”落ち着きをみて”しまう。
ちなみに、犠牲者ポジション自体は、この頃はもう、こちらが出し過ぎずとも最初からあった。だから、そもそも匙加減は本当に砂糖一粒塩一粒の見極めを要した。

しかし、それが、私に無条件に受け止められているのだと少しずつ気付いて来ると、私の予定や人間関係の詳細を聞いてこなくなった。いや、人間関係に関しては聞いてきたか。
しかし、これは本当に、以前と違い、「自分が知りたくて」聞いてくるのだ。
これは依存、転移のそれであるといえようか(最初からあるにはあったが)。
だから、これには全く別の意味で答え方に注意を要した。
彼女は、「自分からこの存在(私)が奪われたら、自分は受け止めてもらえなくなるのだ、自分は愛されなくなるのだ」と思いたい。条件付きの中でしか生きたことがなかったから。そしてそればかり教えられてきたから。それどころか、それこそが「愛」であり、無条件に注がれる奇跡や愛情は「愛」ではないとすら思いこむよう訓練されてきたのだから。
そのため、彼女の安全基地は決して変わらないということを暗示できる答え方をする必要があった。寧ろ、それを暗示するために状況を利用する必要があった。
そして、私があまりにこちらの生活状況を答えないと(彼女は元々私のクライアントとして来ていたわけではないので)、たまに「最近全然予定教えてくれない!」と、責めるように聞いて来る。
これも、「私の安全がいつか奪われるのではないか」が根底にある、交友関係への嫉妬心に近いもののようであった。
だから、どのような形であれ、彼女を安心させる答え方をすれば彼女は満足し安心した。自分が安全なのだとわかれば。

しかし、愛着障碍の場合、この最初の段階(この記事で書いているという意味でこの上述した最初の段階)に来るまでに、途方もない時間がかかる。
通常のカウンセリングだけでは何年かかっても余程のことが起こらない限り難しい。
しかも、今回はセラピストとクライアントの関係ですらなかった。(いや、だからこそできた、彼女に気付かれないところでの特殊セラピーも多くあったのだが)
結局、本人の深層、潜在意識、寧ろ魂に近い部分にまで着実に影響を与えるセラピー(表面的にはどのような形であれ催眠)が必要不可欠となってくる。
同時に、本人との会話、カウンセリング、一言一言一挙手一投足全てにおいて、決して無駄のないよう全て利用し暗示となるよう組み込んで行くこと(エリクソン催眠)。
これを揃えなければ、それこそ何十年かかってもこの段階に来るのも余程至難である。

彼女の場合は、セラピストとクライアントの関係ではなかったし、はっきりあからさまな「セラピー」として催眠療法をじっくり行うという時間枠をとることはほとんどできなかった。
最初のうちは大分したが、これはこの最初の段階に至るよりももっともっと初期段階、本当に出会ったばかりの頃、しかも落とし穴(愛着の根本問題)の外側にある落ち葉(上に積もって本物の落とし穴を隠している問題)の除去のためである。その上、少なくとも私としては難しい深い催眠療法をしたわけではない(その代わり、もしかしたら通常の催眠療法士やセラピストにはできない、思いもつかない方法だった可能性はあるが…)。

また、斯様にこの最初の段階に至るまでに困難極まるために、私は、実は(上述したものもある意味そうかもしれないが)クライアントとセラピストの関係ではないことを利用して、いや、成り行き的な必然性もあったのだが、少々裏技と言わねばならないようなセラピーを使った。
何度か、彼女自身に気付かれないよう(とはいえ、その場で気付かれていなくても彼女には口では説明しているし同意を得てもいるが)、非常に深いセラピーを行った(遠隔で、しかも日常の流れの中で)。しかも…1度ではない。手を変え品を変え、複数回。
これは、明らかに深い部分で大きな影響を及ぼしたことだろう。
結果良ければ、というわけでは決してないが、しかし、彼女の場合は、あの場合は、こうする他なかった。そして、彼女は本当に心底から苦しんでおりそれこそ下手に放っておいた方が命の危機がある。しかも、私と彼女なりのやり取りではあったが、彼女は自分の意思で、私のそのようなセラピー法に諸手を挙げて同意していた。

さて、そして、今現在はただ単に、彼女が私の私情を気にするという表面行動に絞って並べてみているが、
話を戻すと、

その後の段階として、やはりその裏技セラピーの後が目覚ましいのだが、どうやら、本当に、”今ここ”が安全であるということ、そして自分の奥底から湧き上がってくる愛と感謝(これが宇宙全てを成り立たせているエネルギー、自分自身の魂の構成物、自分自身そのもの、…というのはひとつの言い方ではあるが)に素直に気付いて良いのだ、気付いた方が安全に包まれるのだと、実感することができてきた。
こう記していて気付いたが、私は、ある意味グリーフセラピーに近いことを同時にやっているとも言えるのかもしれない。彼女には、グリーフも必要であった。だが、大々的にグリーフセラピーをすることができないので、日常の中で、子供と愛着形成をするのと同じような形で、グリーフの効果も奏するようにと、全瞬間を利用しているのだといえる。
…私としては、彼女の中の偉大な医師の要望に本当に尽くすには如何にしたら良いかと、判断自体を潜在意識の奥底に落としているだけなのだが…。

そして、その段階になってくると、そもそも私との日常の会話が、どんどん対等(子供が等身大で親と接するような意味での対等)で自然な感覚になっていった。
もちろん、私とだけではなく、社会的な人間関係もどんどん激変している。
そして、あらゆる要素を全て書いていると論文が何十枚になっても足りないので、当初の軸であった、私の予定をどう解釈するかというところに絞ると、
やはり聞いて来る頻度は激減した。
自分が子供で在っていいんだ、子供として成長して良いのだ、守られているのだと実感できたためもあるのか(また、こちらは器を健全に守っているということや、私の生活リズムが時刻できちんと安定していることがわかっているという安心感もあるだろうが)、そもそもこちらの器としての行動や食事などのことを話しても、それについてほとんど返しても来ない。
自分の報告がほとんどだ。
面白いことに、私の人間関係のことですら、新しくご縁があった人と会ってくるというようなことをちらりと伝えても、形の上では少し(興味を持つ、という意味で)知りたがるが、それで女であるとか男であるとか答えても、それに対して何か突っ込んでくるなどということすらなくなった。
これまでの彼女との日常的な関係でそうだったため、朝は彼女は自分の報告と、私の予定を確認したい習慣がある(これも、実はでない時が増えてきたから驚きの進歩・彼女の中の安心感の証拠なのであるが)。
が、これも私は、答えない時がある。こちらも応えて報告する時、敢えて他のことを言って気をそらせて彼女自身の安心安全の自覚を深めさせるにとどめることがある。これも色々と理由がある。
が、答えなくとも、私が答えていないことにすら気付かない。また、これが面白いことだが、私が何か予定を答え報告したところで、そのすぐ後に私に対して吹き入れてきた(私の視覚機能の不自由のためもあり、ボイスメッセージがほとんど)メッセージで私の今日の予定を復唱しているつもりが、何をどう聞き間違え勘違いしたらそうなるのか?と思う程、突飛な復唱をしてくるのだ。
これは、愛着障碍の人にこのような段階でこのようなことが起こるわけではなく、恐らく彼女の中で何らかの必要性があって(恐らくはこの記事の冒頭で記したような)、この形で表現されてくるのであろう。
それほどに、彼女の中では小さなことになった、という証拠でもある。
また更に、彼女の情報処理機構の中で、必要以上のところ(不必要なところ)に頭を使わない、という取捨選択ができるようになってきたこともあるのかもわからない(彼女は身体を動かす労働の職場で、仕事の指示などはちゃんと聞くことができている)。
私としても、別に情報をただす必要はない、彼女が受け取りたい時にいつでも伝えることができるし、そもそも彼女が勘違いしたままでも何の問題もない時は、そのままにしておく。
彼女が安心安全を自覚していることが重要なのだ。

ただ、身体の年齢などを考慮する必要や、彼女の元々の器質である思い込みのひとり走りの特徴を助長しないよう考慮する必要性などもあるので、注意深く見守る必要はあるのだが。

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