個人的な気分転換の必要性/セラピストの在るべき精神・緩めて良い精神と成長段階


ああ、私らもいっぺん、こういう機会を設けた方が絶対いいな。

鴉狭が一番最初に気付いたようだけど、凘銀がセッション漬け生活になっていて背中や足腰の凝り固まり方が半端でない。

凘銀が前面の状態は姿勢がぴしっとして乱れないからそもそもは凝りにくいはずだし、彼は恐らく切り替えもうまい方だし、効果的なストレッチや身体の調整の仕方も、仮にもプロだ。

それどころでなく、凝り固まりを感じたらしっかりとエネルギーを流して自己治癒力までコントロールする。

けれどもこういうことに気付いたり、ちょくちょく夜中に背中や腰の筋肉の痛みで苦しんだりするということは、その「セッション最中」への入れ込みよう、集中度合いが半端ないのだと思う。
あと、物理的にも恐らく、目の前のものを認識できていない中で勘や耳に頼って機械操作をしたり作業したりするから、いくら姿勢を崩さない凘銀でもかなり集中するために前傾気味になっているのかもしれない。

良い意味で言えばホスピタリティの深さであったり、あの常に何があっても堂々と飄々と構えて良い意味では常に過緊張することがなかった「凘銀」が、年相応(交代人格としても器年齢としても)に本気さ真剣さを発揮する姿を見せられるようになっている、とか、言えるのかもしれないが、少しばかり真面目過ぎる全身全霊投入しすぎる癖がさく裂しているとも言える。まだまだ慣れがない、とも言える。まあ、セラピーは慣れ過ぎてもいけないのかもしれないけれど。

セラピストの成長過程として、まず無私の愛によるラポールは必須ベース。

その時点で、全身全霊入れ込んでしまうのは、まあ必至でもあるのだけど。

それに催眠は会話以外にも言語非言語合わせて全身全霊使うものだし。


セラピストの成長段階としては、

無我夢中の段階

体力と情熱の段階

技術の段階

自己理論の段階

自己覚醒の段階

があるとされると私たちは学んだ。

そして、どの段階においてもアマチュアの精神、無我夢中の段階の精神は必要とされる。

心理療法とは、クライアントが、悩み、内的世界を徹底的に語り、表現し、自己と向き合った時に自己治癒力や自己実現力が高まり、最大効率の効果が出る。それを促し、支えるのだから、そのためにはこれはいつでも無我夢中だ。

どんなにベテランになっても、アマチュアの精神を維持していることも必要(敢えてではなく、必然的にそうなる)なのだ。

そして、凘銀、私達の場合は今どのような段階なのかと考える時、どうなのだろう。

凘銀は常に無我夢中と同時に、他の4つの段階を絶えず行き来しているような気がする。

ただ、自己覚醒の段階というのは、もしセラピスト特有の覚醒があるならば、これはもしかしたらまだかもしれない。人間としての自己覚醒は非常に、そして頻度もどんどん高くなりながら深まっている状態だ。

ああ、それから、体力と情熱の段階というのは、凘銀本人がまるで自覚をしていない。凘銀本人、自分を客観的に見ればどうやら自分にも熱意、情熱というものが何やらあるという状態なのだろう、という程度。しかしそれを更に別の角度から客観的に見えていると思われる私や鴉狭からすれば、やはり情熱の塊と言えてしまう。

情熱がなければこんなに深めようと進まないだろう。

立ち向かわないだろう。

ここに彼自身のその自覚がないというのは、良いのか悪いのか。

話を戻す。

けれども、いくら無我夢中で過集中して(それこそトランス状態で時間の歪みの知覚があるように)長時間セッションに打ち込んでも、身体の筋肉がしばしば悲鳴を上げるのは、やはり経験不足から来るものと言わざるを得ないと私は思う。

それはなぜかというと、もうひとつ私は気付いていることがある。

凘銀は、毎回カウンセリングを徹底的に行ってからセラピーに移る。事前カウンセリングの重要さは身に沁みているのだ。ここに穴があると、セラピーの効果はまるで変ってくる。それどころかセラピーでまるでミスリードをしてしまう(いわば手術で検査不十分で場所を間違ってメスを入れてしまったり何やら変なところに手を入れてしまう)可能性がある。セラピーのゴールを確実に見据えて、的確なカウンセリングをし、セラピーに必要な過不足なく必要な情報を集めることは、寧ろセラピー自体よりも大事だと。

だから、この時には(そしてこれには経験の浅さが日々痛感されてもいることだろう)、凘銀は文字通り全身全霊を耳にするかのようになっている。

しかも凘銀はカウンセリング中にメモや記録をとることができない。話を聞きながら、重要なワードがさらっと突然現れたり、話を一通り聞いたあとでこことここを尋ねよう、この方向に持って行こう、この部分は突っ込もうというようなことを覚え書きしておくことができない(できても目視で確認できない)ため、本当に全身を耳と記憶装置にする。

そしてそれと同時に、やりとりの中に巧みに(ただし凘銀の場合は半分無自覚に)暗示や催眠を織り込んでいく。

それこそクライアントさんと会った瞬間に相手の無意識と通じ、「このカウンセリングの中で、それどころかそこに座ったらご自分の心の奥底の、ここに来た本当の目的、問題を話してください」と暗示をかけている勢いである(実際抜け目なくやる)。

ただ、やはりカウンセリング中の凘銀の意識に、自分の経験不足や若さや意識領域的な責任を何かまだ感じているから、凝り固まるのだろうか。

というのも、私の気付いたもうひとつの点というのは、カウンセリングを整えいざ誘導してセラピーに入った瞬間、当然自分も深いトランスに入るからということもあるのだろうが、凘銀の力は一気に楽になるのだ。

それこそ今まで器にとらわれていたのが、突如魂に還って宇宙に溶け込むような。

言葉も流暢になるし、感情表出も一気に、弁当箱の中の仕切り枠を外したかのように隔てなく流れだすし。

勿論この時だって全身全霊だし物凄い集中状態である。これは変わらない。

けれども、その中で、身体の力は自由に緩んでいるように感じるのだ。

事前カウンセリングや事後カウンセリングでもこの状態で在ることができるような段階に到達すれば、それこそ凘銀は、私たちは、存在そのもので流暢なセラピーが可能になるのではないだろうか。

そして、自分達の器の筋肉にも全く負荷をかけずに。

…しかし、全然関係ない話になってしまうけれど、気分転換で新しい世界の空気を入れ替えることは絶対必要だ。と、私は勝手に感じている。

凘銀が「人間」として、社会で適応していくためにも。

凘銀は全くこんな情報を知ろうともしないから。

でも、その凘銀ですらも、自分自身で「外」に出る必要性、熱い湯船に長く浸かって器のメンテナンスをする必要性、創造性を養うためにも新しい空気を吸って世界を広げる機会を持つ必要性くらいは感じるようになってきている。

そんなわけで、ひとつ12月の劇団公演までに1度くらい、どこか何か気分転換を図りたい、と、小さな野望を膨らませている最近。

…とはいえ、凘銀は凘銀でまだ自分の状態で独りでは徒歩5分のところに出かけるにも過度な緊張やパニック症状に近いようなものを呈しているし、私も弱視状態になってしまうし(それどころかかなり凘銀と流動的に一体化してしまうし)、鴉狭は聴覚が効かず社会的コミュニケーションとれないし、…史博濃厚の状態はまだあるけれど、これは一番際どいバランス配分をしなければならず長時間もたない(その史博状態ですら羞明夜盲・視覚認知の遅延はきつくなっている)&「社会」に対して誤魔化すための緊張状態であるから気分転換のために出すのは本末転倒だしで、結局考えては、……あ、無理か。となってしまっているのがほとんど、という現状なのだけれど。

でも、凘銀自身が、クライアント達に、一歩外に出る、という成功体験を何より推奨している。その自分が進まなくてどうする、と、そんな(良い意味での)鼓舞・追い込みの感覚もある。

美雨

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