大変久しぶりの、白杖使用者の冒険

大変、久しぶりの、公共交通機関を使った遠出。
別々の場所の用事を3件ほどこの日に詰めた。
最後の目的駅へ辿り着き、初めて降り立って案の定、突然地球の知らない場所へワープさせられた宇宙人状態になった私に、天女が現れた。
まるで私を目的地へちゃんと確実に到達させるために現れたかのようなひとだった。若い女性。(実は、行くこと自体に少々怖さと引け目があったため、駅で降りたはいいが尻込みしていた)

私はひとまずわかりやすい目印の大通りの名前を言い、それがどちらの方角かを尋ねただけだったのに、その場で地図で調べてくれ、同じ方角に進むつもりだったのだろうか…何度重ねて尋ねても「大丈夫です大丈夫です」と嬉しそうに、手引きの仕方も知らない様子なのに、まるで手慣れたかのようなホスピタリティ溢れる、懇切丁寧に同道してくれ、それどころか行き先まで会話の中で尋ねてこれまた地図で調べて、近いとはいえ、しかも心地良く会話をしながら、私との会話も楽しみながら目的地まで連れて行ってくれ、建物の前で私を一度待たせて、奥まったところにある建物の入り口まで確かめて下さった。

…だけでなく、「帰りは大丈夫そうですか、私に何かできることありますか」とまで。
いや待て、ここで用を済ませる間に2時間はかかるのに(しかも道中の会話の中で既に彼女にもわかっている)
道中の何気ない会話も、恐らく本当に楽しんで下さったのだろうな

一体どんな方だったのだろう。


おかげで、その前にあれやこれやあったおかげであまりの久しぶりの単独の遠出に既に疲れて泣きたくなるほど実は自信を失いそうになっていたところ、見事に回復させられてしまった。

そしてこれはもはや久しぶりどころではない、滅多に経験をしない、音響信号も寝静まった街中を、物ともせずに帰った。


しかもここ一週間ほど、夕刻~日没になると頭痛と吐き気でかなり心身に危機を感じる日が続いていたのだが、彼女のおかげでまああの時既に少々くらくらしていた頭痛すら収まってしまった。

もうひとつ、天女ではなくおじさまだったが、大変嬉しいことが。

帰途、慣れた電車とはいえやはり初めての駅であったため、駅に入って改札を探しておろおろしていたところ、声をかけて浅草方面の電車まで連れて行って下さった方がいた。

電車に乗った時、おひとり席を譲って下さり、座らせて頂いてから人ごみに紛れて、そのおじさま、もう声もかけてこないしどこにいるかもわからなくなった。(もちろんそれを見越してお礼は伝えていたし、これは非常によくあることなのだが)

この方、私より先に降りることを知って「僕は〇〇で降りますので」と降車駅を教えてくれていた。そのため、その駅が近づいた時パフォーマンスとして少しキョロキョロしてみたのだが、その駅で扉が開いた時、座っている私の肩をぽんぽんっと叩き、「僕ここで降りますね」と、声をかけて下さった。

実は、これは、内心、物凄く嬉しい。
”視界”から離れる際に、お礼を伝えるタイミングを与えてくれる。
…私たちは、タイミングと、角度を、逃してしまうので。

今日、行く時にも、駅員介助で駅員さんが電車に乗せてくれた時、優先席に座っていた方がどうやらさっと立ち上がって移動して下さったようで、駅員さんが、大抵は「あ、ここ空いてますので(空きましたので)」と言って私に状況を教えずに案内してくれる(私としては中途半端に状況判断予測があるので、どうにも居心地が悪いがどこにいったかわからない譲ってくれた人に声をかけることもその短い間に駅員さんに聞くこともできない)のだが、今回はなんと初めて、「あ、席あきまし…移動してくれましたので」と、なんと言い直してくれ、その瞬間にその気配の方へお礼を伝えることができた(その方の方向もわからないので、声がその方に届いたかどうかはわからないが)。

とても気付かれにくい、そして知られにくいことなのだが、実は、コミュニケーションをすることはできるだけに、こういうことは、人間としての尊厳と権利を返していただけたかのようで、物凄く嬉しい。みんなそうではないだろうが、少なくともこれは私だけではないだろうと思う。

道中助けて下さる方というのは、しばしば、本当に貴重なご縁。いや、ほとんどが、貴重で斬新なご縁。

どんなに少なくとも今の私は、やはりここにこう在る深い意味があるのだろうと思う。

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