見出し画像

こぽぽ水中

ロングコートダディ単独ライブ「こぽぽ水中」を見た。

配信開始から見始めた。余韻が凄すぎて茫然とした。ロングコートダディの描く「水中」に溺れて、様々な感情が揺さぶられて、ぼんやりとしていたらその日は朝になった。

どこか鬱要素が漂うコントの数々。死、切なさ、やり切れなさ。これらはどうしようもなく厄介な現実としてそこにある。でも、ロングコートダディの描くこれらはときに明るく、ときにポップで綺麗だ。同時に、救われる何かがあったり、そっと背中を押してくれる何かがある。とても魅力的で、だから面白い。

初見から1週間経っても未だに、白米を見ると西京焼き定食を美味しそうに食べる兎さんを思い出す。マユリカを見るとくしゃくしゃの折り紙を連想するし、アクリル板を見ると髪が広がっている兎さんがプリントされているのを想像してしまうし、川の近くを通ると臭いを気にしてしまうし、パンが売っているのを見かけるとベーコンエピを探してしまうし、寝る前に1回笑っておこうかなと口角を上げたりする。

それでいいのだと思う。

以下、配信を何度か繰り返し見た上での各コント・VTRの感想などつらつら。ネタバレあり。

「詰み」

舞台は海岸。沖に突き出たコンクリートの先端に立つ主人公。「船をもっていれば、ここから出せそうだな」。そこに船をもらってほしいおじさんが現れる…‥最小限の台詞と表現でこれがRPGの世界であることに気付かされ、ロングコートダディの凄みをいきなり思い知る。
持ち物が捨てられない、でも船を手にれないと先に進めない。ゲーム画面をそのまま見ているかのように進んでいくコントで、主人公を操作するプレイヤーの選択や試行錯誤や苛立ちが手に取るようにして分かり面白い。ゲーム好きな2人が単独の最初にゲームのコントをしていることも単純ながら嬉しかった。
最後、船をもっているおじさんは主人公によって海に落とされる。ゲームを進める術を失った状況は「詰み」そのもの。水に落ちて詰んだところからの「こぽぽ水中」幕開け。綺麗すぎる展開。良すぎた。

オープニングVTR

美しく溺れるってきっとこんな映像なんじゃないか。水中に落ちていくロングコートダディのシルエット、2人に海の生き物が集まってきて物語が始まるようなわくわく……こんな風に我々はこれからロングコートダディの世界に潜っていくのだなと予感させられた。曲も含めてもれなく良い。

「板前と女将」

実家の旅館の板前になると言い出した彼氏と困惑する彼女のコント。何かと小声で上手いこと言ってみては女将になって欲しいと懇願する彼氏にちゃきちゃきとツッコむドラマーの彼女という2人のキャラクターがどこか愛らしい。
終盤、彼女が実はもうバンドを辞めていて女将になる決意をしていたことが分かる。タバコを吸おうとした彼氏にチャッカマンを出したところから形勢逆転、一気に前半の彼氏の台詞がフリになっていたことが分かって面白さが増す。NirvanaのTシャツで「あんたの旅館で日本一の女将になったるわ!」と啖呵を切ったのもドラマーという設定が効きまくっていて面白かった。ロック魂そのもの。
しかしスネアドラムを入れるケースに入った巨大な固形燃料は笑いに笑った……「スネアドラムのケースに入っていたら面白いもの」で爆跳ねする大喜利の答えでしかない、凄い。

スロイジ「解けルーティン」ボツ集

謎解きクイズのパロディ。「やんぽこむなおいき」は声に出して言いたくなるし、堂前さんが描いたと思われる妖怪?「ポーラン」はキモかわいい。
スロイジを見たことがない(放送されていない)のでこういったコーナーがあることも知らなかった。クイズ画面がスロイジと同じだと兎さんが言っていたので、月曜日にロコディが見ている景色をこういった形で少しでも見られて嬉しかった。

「マックス」

真面目に勉強に励む青年と、そんな周囲をガリ勉呼ばわりして眼中にもない様子で友人と話す野球部の元エース。一軍の会話に興味津々な様子の青年は時折勉強の手を止めて会話に聞き入る。飄々と何気ない会話をするだけの元エースと、会話の内容にフリーズしたり引いたりペンを落としたりと逐一反応する青年とのコントラストが面白い。
この真面目な青年は犬の被り物をしていて表情は一切分からない。これがこのコントの面白さの肝だった。一軍の人間からすると日陰の人間は見えない存在……あの犬の被り物はそんなメッセージに思えて、犬側の人間として勝手に切なくなった。しかし最後の最後まで報われなさすぎたな、犬。結局どんなに頑張っても持って生まれたものが違う人間には敵わないし近づくことさえできない、犬だから。
タイトルの「マックス」は元エースの球速のマックスから取っているのか、階層がマックスの一軍の話を聞いているコントだからなのか。分からないけれど、やっぱり犬なところがじわじわくる。……あ、犬の名前がマックスなのか。そう考えると会話を聞く青年の反応はいろいろ辻褄が合う。

脳内全しゃべり〜兎の釣り編〜

兎さんが釣りをしながら思ったこと考えていることを全てしゃべる映像。
兎さん、目に止まった周囲の景色や人、物をすぐに描写するかのように話すことが多かった。色々なものに次々と目移りして釣りに全く集中していないのが分かって面白い。結論、都会の川は臭い。

「岩壁に封印されしウィザード」

岩壁に封印されたウィザードに死の呪いを解いて貰うべくやってきた青年。宝石を捧げれば呪いは解かれるはずが、何を言っているのか分からないウィザードに翻弄されるコント。
ウィザードと青年との噛み合わなさが終始もどかしくも面白い。序盤で青年がウィザードの台詞を聞き取って「シンゼヨウって…呪いを解いてしんぜようってことなのか?」と希望を見出すも「シンゼヨウ」はウィザードの言葉で「介して」という意味。こんな風に最後まで全く噛み合っていかない。ちなみにウィザードの台詞は全てスクリーンに翻訳が投影されている演出で、ファンタジーながら笑いどころは明確。
ウィザードの言語、語感のセンスと兎さんの読み方が良すぎた。カタカナの羅列であんなにも仮想言語が作れるって凄い。最後「アッ」は「あっ」と訳されていて、感嘆詞は同じなのもユニバーサルにデザインされた言語って感じがして秀逸だった。

堂前日記

堂前さんの架空日記。姪っ子と折り紙で遊んだ話。文章もさることながら、姪っ子の作品に選ばれたモチーフ1つひとつが面白かった。大喜利でいう「折り紙でこれ折る?!何?」の答えを出し続けているようなもの。
今回もここで無事にマユリカが出てきた。見覚えのある4色をくしゃくしゃにして表現されたマユリカ……堂前さんの変わらぬマユリカへの偏愛を垣間見た。

「死ぬ人ら」

この日店を閉めたら死のうと決意した居酒屋店主と、この居酒屋で飲んだら死のうと決意したサラリーマン。限界を迎えた店主と客のやり取り。
ジェットコースターのようなコントだった。ハイスピードに、テンポが良すぎるほどに繰り出される言葉の数々。すべてが噛み合っているようで噛み合っていない、突拍子もないその一連が心地よく面白い。BGMにHelsinki Lambda Clubの「スピード」が流れている演出で、曲のテンポそのままの会話。歌詞の一部と台詞が交差する瞬間もあって心地よさを増す。
死ぬ人らが出会った結果、死ぬ人らではなくなった。高速回転するあの一見無意味な会話は「明日も生きる」という選択に辿り着くまでの命のテンションを表現しているかのよう。最高だなこれも。
ちなみにこのコントは、どちらかが1回でもちゃんと噛んだら作品としても死ぬと思われる。「死ぬ人ら」というタイトルが端的に状況を突いていて良い。

脳内全しゃべり〜堂前の散歩編〜

堂前さんが散歩をしながら思ったこと考えていることを全てしゃべる映像。
堂前さんの脳内をのぞき見ているようで面白かった。目に付いたもののイメージや語感で遊ぶ言葉の数々。空想を膨らませたり、コントのようなやり取りが瞬時に浮かんでいたり。言葉の流れには多少の論理性もあり、ネタを考える人の思考回路ってこんな感じなのかなと思ったりした。結論、都会の川は臭い。(なぜかコンビで重なる結論)

「好きっていいなよ。」

殺人事件を捜査する刑事2人が事件の事実関係、人間関係といった情報を整理している場面のコント。
登場人物の関係性を説明する際に「好き」が上手く言えない刑事たち。「せーの」で言おうとするも片方は裏切る。相関関係をまとめているホワイトボードにも「好き」を書けず、ぷるぷると震えながら赤いペンで好意を示す矢印を書く。「好き」を素直に言うことへの極限までの恥ずかしさという思春期のメンタリティを貫いていて面白かった。
とにかく遊びまくれるネタのようで、途中兎さんがホワイトボードに赤ペンで「好き」の矢印を書きながらそのまま回り始めたり、2人でホワイトボード越しにかくれんぼし始めたりしていた。なんて楽しい空間なんだと思った。ずっとあんな関係性でいて欲しい。2人が楽しいならそれで良いと思える微笑ましいネタだった。

グッズ中川

単独ライブに向けてグッズを考案してきたというグッズ中川が兎さんにグッズをプレゼン。
エリンギやボールペンに全面的にプリントされた兎さん。引き伸ばされすぎていて流石に笑う。アクリルスタンドと称して紹介された、コロナ禍で多用されていたアクリル板に頭部が四角く引き伸ばされた兎さんがプリントされている画像(アンチウイルス効果のイラスト付き)も面白すぎた。
どれが良いか選択を迫られて兎さんが「強いていうならアクリルスタンド」と言っていて、強いて言ってそれかいと思ってまたひと笑い。兎さんの写真を加工してボケまくって楽しんでいる堂前さんの絵が浮かぶ。

「こぽぽ水中」

傑作すぎた。この長編コントがロングコートダディの本気で、本分で、命なのだと思う。

本当は足を洗いたいと願いながら裏の世界に手を染めていくニシ、心中した両親のもとへ行きたいと死を願うギン。それぞれに闇を抱えた2人の淡々としていてコミカルで、でもどこか心温まる奇妙な同居生活。鉄砲を作って殺してくれと明るく言うギンの死を恐れない無邪気さと、自らに迫る危機を感じながらもギンを放っておけないニシの隠しきれない優しさが交差する水中の物語。

そんな中に散りばめられた笑いはベースに普段の兎さんのキャラクターがあった。なかでも今の兎さんが少年を演じるからこその「最年少無呼吸」はパワーワードだった。ギンが西京焼き定食を食べている様子を見てニシがにやにやしながら「俺これ(食べている姿)見てられるんだよ」と笑っていたのはロングコートダディでしかなかった。それとニシの台詞「寝る前に1回笑っときゃ『ああ今日は楽しい1日だったな』って脳が錯覚すんだよ」が堂前さんっぽい考えで好きだった。

物語としても、とても丁寧に描かれたコントだと思った。最初にニシが電話で「磯臭さにも慣れてきて」と言っていて、舞台となっている部屋が水中にあることをさり気なく匂わせていたことに気付かされる。かなり序盤で、鉄砲は銃口が小さかったら玉が詰まって額に跡が残ることをニシが伝えていて、ギンのコミカルなリアクションで笑いになっていたけれど、このくだりも後から大きなポイントになっている。こんな風に仕掛けがあちこちにあって、それぞれが綺麗に線となっていく。見れば見るほどに奥深い。

最後にニシは「水中は飽きた」と言ってギンと遠くの高い場所を目指そうとする。闇から抜け出して新しい一歩を踏み出そうとする2人。最初に向かった仮の宿。そこで2人を出迎えた女将が、冒頭のコント「旅館と女将」でドラマーだった彼女。水中からの帰還。見事な終わり方すぎた。

最も印象に残ったのは終盤のギンの台詞「次はどこで死ぬ?」だった。死を恐れず、求めて生きる無邪気なギンの言葉にふと気付かされる。ああ、そうか。きっと我々もこうやってどこかで死にながら生きているのだ。

これからもそうやって、ときに死にながらも(厳密に言えば心を殺しながらも)現状と折り合いをつけながら生きていこう。そんな風にそっと背中を押してもらって水中を後にした、ニシとギンが水中を去ったように。今はそんな感覚をもっている。

誰しもが向き合う死、誰しもが抱えうる心の闇。それらをそっと面白さと優しさで包みながら、丁寧に物語を紡いで明るい方向へと救い出すロングコートダディにしかできない表現。あたたかな死生観、やわらかな人生観。好きだ、好きでしかない。

素晴らしい作品をありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?