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極秘インタビュー:ニコラ・テスラが伝えたかったこと

  Youtubeチャンネル「真実の目」がアップした「100年以上極秘にされていた、ニコラ・テスラのインタビュー【超衝撃】」の内容があまりにも素晴らしかったので、その情報を調べてみました。

こちらの動画をもとに、日本語で作られているようです。

 1899年にコロラド・スプリングスの研究所で、ニコラ・テスラがジョン・スミスという記者の取材を受け、雑誌『イモータリティ Immortarity』に掲載された記事という設定になっています。
 しかし、史実と異なっている点が見受けられます。例えば、アインシュタインが特殊相対性理論の論文発表をしたのは1905年で、テスラがアインシュタインの相対性理論を批判したのは晩年です。歴史的事実とフィクションは、明確に区別されなければなりません。

コロラド・スプリングスの研究所

テスラの実験施設

 テスラが1899年にアメリカのコロラド州スプリングスに建設した研究所は、高電圧・高周波電力の無線送電を研究するためのものでした。この研究所が利用されたのはわずか1年間だけで、1904年に取り壊されました。
 この画期的な研究所の建設資金は、ジョン・ジェイコブ・アスター4世からの投資という説があります。アスター家はイルミナティ13血統のひとつに挙げられる資産家です。ちなみにジョン・アスターはタイタニック号事件の犠牲者です。

架空の対談

雑誌「イモータリティ」とジョン・スミス

 米国議会図書館や歴史的な新聞アーカイブが提供するような主要なリソースを検索しても、1890 年代の雑誌「Immortality」に関する結果は見つかりませんでした。記者の名前のジョン・スミスですが、「名なしの権兵衛」に近いニュアンスを持つ使用法があります。

ウォルドルフ=アストリアホテル

 ニューヨークのマンハッタンにある、ウォルドルフ=アストリアホテルは、1893年開業の高級ホテルで、国賓や政府高官、有名人が宿泊したことで知られています。テスラは絶頂期に常宿とした記録があるので、史実ですが、1899年のホテルの高さは13階で、インタビューで語られたような「33階」は存在しません。
 このホテルの開業当初の所有者はアスター家。当時の格差社会の常識からすると、移民の発明家テスラをホテルに滞在させるのは、破格の待遇であり、アスター家の期待の大きさがうかがえます。

マーク・トゥエイン著「不思議な少年」

 マーク・トゥエインの「不思議な少年(The Mysterious Stranger )は、彼の死後の1916年に発刊されたので、インタビューの時期と矛盾しています。しかし、テスラとは知己を得ていたのは史実です。インタビューでは、トゥエインがよくテスラの研究所にやってきて、多幸感を得る機械を使っていたということが語られています。テスラは発明について詳細を書きのこしていますが、そのような機械を発明した記録はありません。

不思議なインタビュー

 少し調べるだけで、動画の対談がフィクションである可能性が高いことがわかります。この対談についてのSNSログは、2013年からあります。またこの対談で、不自然な文脈で引用される著名人の名前が、フリーメイソン会員ばかりなことに気づかされました..…🤔ハテ

秘密結社プルス・ウルトラ

 ニコラ・テスラについて、「やりすぎ都市伝説」の初出は2012年。彼が加入していたという設定の「秘密結社プルス・ウルトラ」の初出は2013年。この頃から、精神テクノロジー文明のアイコンとして、天才発明家ニコラ・テスラ像が形づくられてきたのかもしれません。
 ともあれ、インタビュー動画は非常に興味深い内容を含んでいるので、視聴をおすすめします。どういう目的で作られたのか、どこへの誘導か、あるいはアカシックレコードからの情報を含むのではないか...など、いろいろな角度から洞察していくうちに新しい発見があるかもしれません。

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 テスラのインタビュー全文と解説については、メンバーシップにて記事を書いています。よろしければ、下のリンクからどうぞ😎


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