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お母さんは、私の本当のお母さんなの?

小学校高学年になると、小さいころ言えなかった母への不満を、ことあるごとに言うようになりました。小さいころの私は、母に対してなにも言えず、母の言いなりになっていたのですが、年齢を重ねるごとに、なぜ理不尽なことで怒られなければいけないのか。なぜ私の意見を頭ごなしに否定されなければいけないのか。なぜ話がまったくかみ合わないのか。というイライラの感情が増していき、「なにかがおかしい。なにかが間違っている」と感じるようになったのです。

言い合いになるたびに、「私は本当にお母さんの子供なのか?もしかしたらそうじゃないから、伝えたいことがこんなにも伝わらないし、私にひどいこと言うんじゃないか?」と考えたり、母の接し方が私と兄弟で違うことをいつからか感じていたりした私は、ある日、両親の寝室に行き、母子手帳を探すことを考えついた。

人のタンスを勝手に開けるのはよくないと思い、何度か思いとどまったのですが、このような思いや疑問が私の頭の中に波のように押し寄せてきたり、引いていったりする時期が続くなか、結局、「毎日見る、"この" お母さんは私の本当のお母さんなのか知りたい」という気持ちの方が、「人のタンスの引き出しを勝手に探るのはよくない」という常識的な倫理より勝ってしまったため、見つからないように、そして、誰かがタンスの中を探ったと分かられないように、私はこっそりと引き出しを開け、母子手帳を探した。

場所はなんとなく見当がついていたため、手帳を見つけるのに苦労はしませんでした。

#本当の母 #母子手帳 #言いなり


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