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「北林ってなにしてんの?」への回答②

生まれ育った橿原は田舎であり、周囲は田んぼが多かった。そのため子供の頃の遊びといえば田んぼや野原で虫を採ったり、家の前を流れる川でザリガニやメダカ、フナなどを採っていた。家の敷地内には畑もあったので、野菜が育っていく様子を毎日見て楽しんでいた。そういえば小学校高学年のときにヘチマの観察日記をつける自由研究で市か何かの表彰で金賞を獲ったのを覚えている。
一方で、近鉄橿原線(北は奈良や京都、南は吉野へ通じる)と大阪線(東は名古屋や鳥羽、西は難波へ通じる)が交わる大和八木駅が最寄りだったので、それなりに住宅が増えていった。マンションというものを初めて見たのは小学校くらいだったろうか。近所に6-7階建くらいののマンションが建ったのを見てその高さに驚いた。それまでは3階建程度の住宅しか見たことがなかったからだ。その頃から、少しずつ自分が育った周囲の自然が変化していった。川が淀んでドブ川になり、田んぼや畑はどんどん土で埋められ、住宅地が広がっていった。それに対する悲しさを持ち始めた小学校の中学年ころに読んだ「学研の科学」で地球で温暖化や森林伐採、砂漠化、海洋汚染などが進んでいることを知り、自分の周囲の自然の変化と結びつけて考えるようになった。また、野外活動などにも参加していたので、奈良県の南部にある大台ケ原に行った際に木が枯れているのを見て酸性雨の影響ということを聞き、胸の痛みを感じた。
その頃から、環境問題をなんとかしたいという想いを強く抱き始め、今も変わらない原点になっている。

つまり、人生の軸は小学校の中学年に固まったのだ。

蛇足だが、同じく学研の「ひみつシリーズ」という漫画で歴史や文化、科学や生物のことなどを紹介する本がある。母が買い与えてくれたこのシリーズのおかげで小学校の高学年のころには、どの学校にもクラスに1人くらいはいたであろういわゆる「雑学王」になっていた。
学ぶこと、知恵をつけることで世の中に対する視野が広がること、そしてその範囲ができるだけ多様であることで、その広がりもどんどん広がることもこの頃に知った。

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