見出し画像

ポジティブ大喜利が取り巻く世界

私は自分のことを少しもポジティブだとは思っていない。ポジティブであろうと思ったこともない。そもそも、ポジティブであろうと構えることが不自然なのだ。それではいつかポジティブであろうとすること自体がストレスになる。

noteを始めたばかりの頃、こんな記事を書いたことがある。

ようは、ストレスからは全力で逃げようぜ!って話を書いている。

先日出演したラジオでも似たような話をしたが、私はストレスがない。私の周囲にもストレスフルな人はいない。…たぶん。私が気がついてないだけだろうか。いや、この世界は自分が見たいようにしか見えないのだ。だから、私はストレスのない世界を見ているということなのだろう。真実はどうであるかということは問題ではない。真実なんて、見る人によって違うものなのだ。

例えば、彼氏が絶対に浮気していると疑っている女の子がいるとしよう。その子は、なんとしてでもごまかしようのない浮気の証拠を検挙しようと思う。でも実際、彼氏がまったく浮気をしていないとしたらどうなるだろう? 浮気をしていないという証拠は絶対に挙げられないので、いくら内藤剛志が「必ずホシを挙げる!」と鼓舞しても、その彼女にホシいや浮気の証拠を見つけることはできない。彼女は証拠が見つかるまでずっと不安を抱えることになる。となると、彼女は永遠にその証拠を探し続けるだろう。見つかるまで、ずっと。そして、きっとどちらかが疲れて二人の関係は終わりを迎えるのだ。

仮に、浮気をしている夫がいたとしよう。
夫は妻の知らないところで浮気相手との逢瀬を楽しんでいる。しかし、妻はそれにまったく気がついていない。妻にとって夫は家庭を大切にしてくれる優しい夫であることが真実だ。妻は幸せだ。でも「妻は真実を知らない。それは本当は不幸なのではないか」と主張する人もいる。でもこの場合、妻の知らないうちは浮気の事実はないことと同じなのだ。相変わらず、妻は幸せなままなのだ。

そう。世界は見たいようにしか見えない。
それを逆手に取れば、日々はだいたい幸せだ。

自分の見たい世界を意識する。
それだけでいい。
自分自身とは、記憶の積み重ねでできている。つまり自分とは、自身の選択と結果の集大成だ。そうして積み重ねてきた選択と結果が自分を取り巻く世界を構築する。

ならば、いつもハッピーな選択だけをすればいい。どんな些細なことでも、ハッピーな方を選択する。そういえば、先日のラジオでパーソナリティの方から海外でのバックパックについて「旅に出るのに生活の不安はありませんでしたか? 再就職とか今後の収入とか考えませんでしたか?」と聞かれた。私は自分が旅人になる時、まったくそんなことは考えなかった。それらを検討した上で何かを妥協するという選択は私にはなかった。何も考えなかったわけではないけれど、どう転がるかわからない未来を心配して身動きが取れなくなるなんて、私には出来ない。どうせなら、楽しく生きるためにはどうすればいいかということに考えを巡らせることのほうが一億倍楽しいではないか。

数年前、あるイベントに出演した際、楽屋に届けられたお弁当がすごかったことがある。それはまるでグルーポンのおせちの再来のようだった。

2010年頃に話題となった『グルーポンおせちスカスカ事件』
参考:https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1411/13/news101.html
その4年後、グルーポンは『ぎゅうぎゅうおせち』を販売。

私は唐揚げ弁当を選んだのだが、まさに上の写真のようなスカスカさで、極限までミニサイズに挑戦したかのような小さな唐揚げがふたつと、不思議な野菜のおかず、どうしてそうなった?と聞きたくなるような隙間の空いたご飯など、それはもう大変な有様だった。

私は弁当のふたを開けた途端、爆笑した。
周囲にいた出演者の人たちも「このお弁当、おかしよねぇ?」とざわつき始めた。既にお弁当を食べ終わったタンゴチームは楽屋の隅でタップを踏んでいたが、私達のざわめきに足を止めてこちらを見ている。その目は、

どっちに転ぶか?

と問いかけているようだった。

これを「ふざけんな!こんなんで金取るな!」というのは簡単。でも、それでは話が全然楽しくない方に転んでしまう。その上、誰もハッピーにならない。どうせなら幸せ指数の高い選択しかしたくない私は、スカスカな様子を「風通しがいい」と言い、唐揚げをひとつ取っても「あ、食べやすいサイズ」と言い、見たこともない野菜のおかずを「新しい味」と呟いた。隣に座っていた出演者の女の子もノリノリで衣しかない唐揚げ風なおかずに「持ちやすい」とか言い出し始めた。

いつの間にか、私の周りでスカ弁をテーマにした大喜利大会が始まっていた。みんなで涙が出るほど笑いながらお弁当を食べた。笑いすぎてちょっと寒かった楽屋が暑く感じるくらいだった。

イベント後、主催者から弁当に対して謝罪があった。
なんでも、受注先が予想以上の注文数に超テンパったせいでスカ弁が誕生したとのことだった。その理由もなぜか笑えた。テンパった結果があのグルーポン仕様に仕上がったのかと思うと笑えて笑えて仕方がなかった。その話を聞いた私達は『テンパった弁当屋』のコントを即興でやってしまうくらいスカ弁を楽しんだ。

おかげでそのイベント自体の記憶はほぼ忘れているけれど、楽屋がものすごく楽しかったという記憶は強く残っている。

まぁ、私がいる楽屋はたいてい楽しいのだ。殺伐とした楽屋もあるのかもしれないけれど、私が過ごす楽屋はだいたい楽しい。これは、以前記事にも書いたが、幸福は伝播するという科学的作用のせいかもしれない。

ポジティブであろうとすると疲れるが「現場はだいたい大喜利会場」だと思えば気が楽だ。大喜利の訓練にもなるし、何より楽しい。その際にはぜひともポジティブな大喜利で盛り上がりたい。

#白って200色あんねん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?