『こうしたい!』があるのに、
周囲の状況とか、自分以外のことを気にして
できないから生まれるもの、だと思う。

のだけれど、自分の責任範疇のことなら、
基本的には好きにしたらいいと思う。



結構よく例えられることだけど、
家に例えていうなら、
1人1軒、自分の家持ってるとしたら、
その中って、基本的には、自分の好きなようにしていいよね?
てな感じ。

そいで、
相手の家に入る時は、相手の家のルールに従う。


ほんでもって、
道路みたいな共有スペースは、譲り合って使う。


また、自分の家であろうと、
音とか光とか、敷地を超えてしまうものは、
時間とか限度とか考えましょうね。
といった感じ。


だから、土足で家に乗り込む人に、
『座布団出して、お茶出す』必要ないし、
逆に、人んちにズカズカ入りこんじゃだめだよね。


で、家族で暮らしてても、
1人1人が部屋持ってるなら、そこは、その人のスペース。
原則、部屋に入る時はノックする。
人のモノは、勝手に触らない。
最低限の片づけはする。
家主が、ある程度ルール作りの権限を担う。


でも、虐待みたいな社会的におかしなことしてたら
第三者に乗りこまれてしまう。


ただ、でっち上げとか、強盗とか、
第三者もおかしなことしにくることもあるから気を付ける。


そんな感じ。


だから、家族だろうが、無断で踏みこまれたら怒っていいし、
話聞いてくれないなら、
第三者に介入してもらうことも、止む無し。


なのだけど、日本の現状は、
『プライバシー』という言葉が一人歩きしてしまい、
家の中が変に『不可侵領域』になって
親子関係なんかは、いびつになってる感が否めない。
核家族って、結局、子どもがある年齢に育つまで、
親の独壇場になりがちだよね。
クローズドの世界だし。




昭和の時代みたいな、
『向こう三軒両隣』って言葉が復活するくらいの
ご近所付き合いが復活したら、ちょっと変わるかな?

というか、そういう関係を築けてるところもあるんだよね。
そういうとこって、人によって合う合わないはあるだろうけど、
町ぐるみの何かが残ってるとこだよね。




で、話戻して、
『自分の責任で好きにしたらいいのに出来ない』
そんなときは、どーするか?というと、
上記のようなことが起きてないか、確認する。
起きてたら、まず、それを認識する。
そして、少しずつ、親から離れてチャレンジをしてみる。


最初っから上手くいってもいいし、
上手く行かなくても、それは、不思議なことじゃないから
少しずつ、小さなことから続けてみる。





全てのことに意味があって起きてることだから、
とりあえず、変化を起こせるように動いてみることって、大事。



全ては善きことのために、起きている。

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