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文献を比較考証する長男

長男はとにかく電車の本を読むのが好きで、私なんかよりも電車の名前に詳しくなっています。もう少し大きくなったら、電車を乗り継いで、東京では乗れないようなローカル線を見に行くような小旅行に連れていってやりたいと思います。

そんな長男の嗜好を耳にしたのか、妻や義母の知り合いがよく電車の本をプレゼントにくれたりします。時々、同じ本がかぶってしまうこともあります。

そんな2冊の同じ本を横に並べて、ページごとの違いをチェックしている長男の姿を見て驚きました。表紙は同じでも、版の数が違っていると写真やキャプションが差し代わっている場合があるのを発見したようなのです。やっていることは、もはや古代の文献の写本を並べて比較検討している学者と同じです。

古代の石板や粘土板であれば、原本がそのまま現代に伝わっていることも多いですが、羊皮紙やパピルスであれば原本は散逸して、写本のみが現代に残っていることがほとんどです。そしてその写本は、教会で修道士がラテン語の教材として書き写していったものといいます。

当然ですが、本を書写する際には誤記がどうしても生じます。現代のちゃんとした企業や官公庁のように、第三者のダブルチェックがきちんとなされていれば良いのですが、修道士に丸投げのいい加減な修道院もあったのではと思います(というか大多数がそう?)。

したがって、写本によってバージョンが異なることもあり、文献学上では厳密に分類されています。例えばカエサルの「ガリア戦記」は写本が多数あり、ローマのヴァティカン図書館には32種類も所蔵されているそうです。時には意味が大きく変わってしまうような違いもあり、そこは注釈で、「この写本ではこうなっているが、あの写本ではこうなっていて、本翻訳ではこういう理由で後者の写本の表記を採る・・・」みたいな解説が付いていることもあります。

こうした細々とした原典考証が歴史研究の礎となるのですが、重箱の隅を突くようなつまらない学問と見られているようなきらいがあります。少なくとも、現代社会との関連性は希薄なのは確かですが、決して無関係でもないので侮れないのが文献学です。

例えば、歴史漫画の「キングダム」で将軍の壁(へき)という結構活躍するキャラクターが登場しますが、本来は、嬴政(始皇帝)の弟・成蟜の反乱の時に死ぬ予定だったといいます。「史記」に「将軍壁死」という一節があり、「将軍の壁が死んだ」と読めることからそういう運命を辿るはずでしたが、実は防壁内での戦死を意味する「壁死」という熟語だったのではないかという新説が提示されたらしく、その説を採って生き延びることになったそうです。

おそらく、他の古代中国の史料で「壁死」と同様の用法が発見されたためと思われますが、いずれにせよ史料の解釈によって歴史は変わる可能性があり、文献の研究によってその裏付けが常になされている必要があります。

そんな文献学と同じような電車の本の読み込みを飽きずに熱心に行っている長男は、やはり学者の素質があるのかもと感じています。もちろん鉄道オタクへの道をまっしぐらに進んでいる可能性も高いですが、それはそれで乗客に迷惑をかけない程度に求道してもらえればと思います。


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