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1歳になった
今週、息子は1歳の誕生日を迎えた。
まだ歩いたりはできないけど、
クリスマスツリーの飾りを狙って、はいはいでよじ登ってころんでみたり、つかまり立ちしたり少しずつ活発になってきた。
おいでと、手を出せば来てくれるようになったり、なにかツボに入るほどよく笑ったり‥
ここに至るまでたくさんの成長や、発育が無いとできなかったななんて、その物事の成り立ちや大きさを感じたりしている。
一年前のこの日、ちょうど、この時間に陣痛が始まったなとか、病院に走ったねなんて夫と話しながら鮮明に思い出せてホロリしてたけど、
もう息子はあのお腹や飛び出してきた特別な日々は、忘れちゃってるんじゃないかしら。
一歳の誕生日の朝、息子のワクチンをしに、産後からお世話になっている小児科へ行った。
ここの先生、本当に子ども好きなおじさん先生でいつも「ちいさん、よくがんばったね。」だとか「にっこりしてくれてありがとう、こんな仕事だからうれしいよ」なんて、チッチに声をかけてくれる。
この日は誕生日だと知って
「今日は、ちいさんが言えないから、ちいさんのかわりにいいますね。ここまで育ててくれて、本当にありがとう」とわたしに声をかけてくれた。
あぶない
なんだろう。この吹き出そうなほど瞼が熱い感じ。
なんだか、これまで知らず知らずのうちにぴーーーんと、張ってた糸が一気に緩むのを感じて危うく病院で泣くところだった。
すごくすごく会いたかったから、チッチを産んで育てているし、泣き言なんてチッチに申し訳ない。
だけど、ここに至るまで、人間を育てることの壮大さにやっぱり意外と緊張してたんだ。あとから、言葉にしてこんなふうに気づいた。
子育ては、わかっていたけどひとりで生きたり、夫と二人で生きているのとはわけが違う。
でもなにが違うのか、産まれるまでいまいちわかってなかった。
それは、家事をこなすことがチッチの協力無くしてはできないことだと知ったのだ。
ごはん作るときは、チッチがおもちゃに夢中になってる隙に作りにいく。
あとから母ちゃんがいないことに気づいたチッチがキッチンにきて、泣き叫びながらキッチンの入り口に張ったゲートをガタガタやりにくる。
「あけてよー!母ちゃんあけてよー。おいてかないでよー。」そういってるみたいだ。
ごめんねという気持ちと、いま作っちゃわないと間に合わないという気持ちと、こんなにそばにいるのになあという気持ちを混ぜこぜしながら、チッチの気を紛らわせて、たくさん歌って、踊ったりして、待ってもらう。
そうしてできたごはんが今日もチッチや父ちゃん、母ちゃんのお腹に運ばれている。
チッチが我慢して待ってくれたおかげで今日もごはんが食べられる。
洗濯は、チッチが見てない間にパッといく。
洗濯機がある部屋は連れて行きたいけれど、ちょっと寒いし、ここはサクッと終わらせよう。
洗濯を仕掛けに行ってる間に、あとから「かあちゃーん、なんでまた、チッチを置いてくの〜」とパタパタやってくる音がして、ドア越しにしたりと張り付いてまっているのが、ガラス部分から見える。
洗濯を終えると「門番さん〜、ドア開けてください〜」とチッチが張り付いたドアを押しながら開けてもらい、大いに抱っこする。
洗濯物もチッチのおかげでなんとかできました。ありがとう。
家事なんてひとりでやれば10分程度で終わることがいまは、できない。
何時間もかけたり、手が届かなかったりしている。
でも、いまの家事とは、チッチの存在も含めての家事なのだ。だからじぶんひとりの頑張りじゃなくなっているのだ。キミが頑張って待ってくれたおかげでできているんだよ。チッチ。
ここらで小見出しをつけたいのだが、noteが不調でつけられないのだけど、チッチ自身の育児について書こうとおもう。
こどもの躾やら、教育やら、わたしにできるのか不安だったけれど、食事のスタイルが変わる一歳にもなるとそういうシーンがいよいよはじまった。
ものを落とさないとか、ストローは、遊ぶものじゃ無いとか、そんなことをいうのが面倒なので早くもやめた。
とは言いつつそりゃ一応ご飯を食べる時は、無理を知りつつ「こぼさないよう〜」といってみる。
でもそれよりも
ようやく興味を持ち始めたたべものの感触を指や手で、カブや米つぶ、くだもののぐしゃっとなったり、つみれが床にぽとんと落ちる不気味さを、大いに味わってもらってる。
けれど、あからさまに母ちゃん見ながら食事をわざと落とすなんて陰湿に見えることすると、母ちゃんが悲しい顔になって「なんでそんなことするの〜。フンっ。知らない!遊んであげない」と拗ねることがあることもついでに見てもらうことにした。
万有引力の法則の話だけでは無いのだ。チッチが床に落としたごはんは、粗末にしてることにもなることも知って欲しい。
落とすことや、ものの向きを変えるだけでいろんなできごとが起こるんだから、赤ちゃんも勉強に忙しい。
チッチが好きなリンゴジュースも、逆さにすれば溢れ落ちて、減っちゃうし、なんだか手や足が濡れたりベタベタしちゃうんだって何度も経験してわかってもらうことにした。
なんなら、母ちゃんもリンゴジュースひっくり返してやった。
汚れたら洗えばいいし、拭けばいい。
チッチが嫌いな掃除機も出動回数が増えれば、チッチは掃除機さんともうすこし仲良くなれる。
これは経験だ。
溢れないストローマグで飲むのもいいけど溢れることを知らないとダメなんだ。
子育てして学んだことがある。
子どもはは、何度言っても落としたりこぼしたり、噛み付いたりするけれど、「きのうのこと?フンっ忘れたな、そんなこと」っていうシステムを搭載しているようなのだ。
だからこちらも毎朝リセットボタンおして根気よく伝えるのだ。
きのうの分をリセットできればなんちゃこっちゃなくなった。
よし、母ちゃん先生が教えてあげよう。
ごはんを床に落とすと食べられなくなるんだよ。
夜布団をかけないと、鼻水ズルズルになって、チッチが嫌いな鼻吸いで、ズビズビ吸い取られちゃうんだよ。
やっちゃダメをやりたいこども。
だから、ダメというのがナンセンスだ。これはわたしがどれだけ許容してあげられるかにかかっているような気がした。
そんなことをなんとなく毎日重ねて行くうちに、大きくなればリンゴジュースのベタベタも米粒がねっとりくっつくのも触らずともわかっていくだろな。
乳幼児との日々は、手がかかるけど優しい気持ちもあじわえる。
妊娠中もあったが周りからの助けや優しい声をたくさんいただけたり本当に優しい思いに何度も救われた。
なかでもね、母ちゃんひとりで子育てしてるようで父ちゃんにすっごく支えてもらっていたよ。
普段は釣りのことばかり考えてる父ちゃんだけど、父ちゃんがこれだけ仕事で毎日グニャグニャになるまで働いてきてくれたから、チッチと母ちゃんはこんなふうにそばにいられるんだよ。
チッチと父ちゃんと母ちゃんは連携プレーの三人家族なのだ!
チッチファーストで、父ちゃんファーストな母ちゃん。
母ちゃんが、父ちゃんの頭撫でたら、チッチも父ちゃんの頭を撫でた。
ああ、いつもキミには喜びや驚かされてばかりだよ。やっぱり愛しくてしょうがないや。
おもわずぎゅーっと抱きしめた。
ああ、私たち家族はみんな一歳だ。
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