「デザインにおける倫理」について考える

いわゆる「デザインの倫理」についてのトンキンワイズ先生の論考というかエッセイ。

デザインの倫理ついては以前から行動経済学的なものを悪用?したUXデザインのダークパターンに関する議論などが盛り上がりを見せているけれども、このエッセイはさらに数歩踏み込んでいて、とても興味深いです。

UXデザインのダークパターンについては、デザインを悪用してユーザーや関与者に不利益を与えることだけでなく、不利益を与える可能性に気づかないことや、意図せず無意識に不利益を誘引することすらも企業が配慮すべき、非難されるべきこととして指摘されていますが、本エッセイでは、ある銀行の事例を通して、自社が関与することではないから放置しておく(例えば、お金の流れに関するデータから、ひょっとしたら預金者が詐欺被害を受けているor受ける可能性を感知した際、自行が関わる範囲外のことだからといってスルーする)ことも、倫理に反する行為だとみなすべきか?とか。

さらにあたしたちデザインプロフェッショナルに突きつけられる論点は、昨今サービスデザインの領域では当たり前のものとされている「顧客・ユーザーとの共創」的な相互行為(インタラクション)設計についても、それは企業が自社内コストをカットするために、自社のバリューチェーン外にいる顧客のリソースを無給で搾取する反・倫理的行為ではないか?という問題提起。
Tonkinwise先生自身もこのエッセイは研究論文ではなく、自身の学習のための書き物だ(結論はまだなく、考え中のもの)と言うように、これから考えていくべき問題意識なんだろうけれど。
考えなあかんこと、いっぱいありますね。

※下記は、以前参加した情報アーキテクチャの国際カンファレンスで、デザインのダークパターンについて論じられていた話題を自身の備忘録として書いたコラム。





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