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話し合いはどれだけのことを解決できるだろうか

まず、話せればいいんだよなあ

もちろん
話をすることができたら
全てが解決する
なんて簡単なことではないんですけどね

でも
話をすることができたら
いや
話し「合う」ことができたら
見えない不安は解消されたり
杞憂だったななんて思うことが出来るんじゃないかと思うんです。

※話し「合う」方法は以下の尊重する方法と考えています

私はずっと「イラショナルビリーフ」という考え方に振り回されてきました。

イラショナルビリーフとは
しばしば「ねばならない」、「すべきである」などの形で表現されます。「人に私の意見を認めさせなければならない」
「人は私を認めるべきである」
などが挙げられます。
これらは論理情動療法において多くの心理的混乱の原因であると仮定され、うつや絶望、無力感の原因と考えられます。

というのも、これはまたいつか書きたいと思っているトピックなのですが、同性愛者である自分が人から後ろ指刺されないためには、誰もが認めるような人物でなくてはいけない
という強迫観念に支配されていたからなんです。
そしてそれをパートナーにも押し付けていました。
人から指摘されてしまうようであれば関係性を認めてもらえない、と。
いまは、周りがどうであろうと自分は自分と、受容と自尊心はだいぶ回復しているんですが、まあ、昔はひどかったんですね。

で、この考え方でいると、話し合いが全く成立しないし、
勝手に話を自己完結しちゃう。
話もしてなければ、相手の言葉を信じることもせずに結果だけ見て、やはり自分が女だからだめなんだと拗らせておりました。

最近特に、状況が状況ですから
「こうでなくてはならない」
という一方的な正義感により、相当窮屈な状況になっているんじゃないかなと思うんですね。だから間違いを認めることすら許されなくなっている。
複雑だし、常に気を張ってられるわけでもない、そんななかでやっちまったなって行動しちゃったら、まずはそれを認められる環境を作れないもんかと思います。でないと責めて責めて、閉じこもって、結局真相は謎のままで改善点とか見つけられず、いやーな感じだけ残るみたいな。

や、何かがあったとかじゃないんですけど
どうでしょう?話せてますか?大切な人の声、きけてますか?
大切かは分からないけど関係している人の声、きいてますか?
思い込みや、確証もない曖昧とした~べきに支配されて
なにかや誰かを潰さないような、そんな環境にしていきたいです。
でなかったら、あまりに殺伐としちゃうよねって。


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