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memoir of 911+1

直面するのが辛くてふんわり見てみぬフリをして過ごし切ろうと思っていたのに、9月11日の終わり際にNYの師匠から「忘れんな」のメッセージを込めて、今年もこの写真が送られてきた。

当時ブルックリン在住だったわたしはその日、一つ目の轟音で目覚め、次々にルーフトップに駆け上がるロフトの住民たちの取り乱した足音で動悸を覚え、自分も引き寄せられるかのように皆と上がって行った。

抜けるような青空の下、向こう岸に繰り広げられる映画のような光景を、随分と長い間受け止めることができなかった。

遥か彼方から、朝日の反射光がキラリと目を刺したかと思うと、まるでそこに向かって行くことが100年前から決まっていたかのように、何の迷いもなく一直線に、真っ白な飛行機がタワーに突っ込んでいく様子がスローモーのようだった。
皮肉なほどにキレイなオレンジが3玉、タワーの表と裏にぽくんと盛り上がって、隣に突っ立っていたルームメイトのマテオが汚い言葉を吐いた。
それから3秒ほど後になって、信じられないようなこもったような爆音が、一面の青空を360度這い回り、わたしの耳を打った。
音が目に見えたのは、後にも先にもこれいちどきりだった。

それからは、両目と喉がヒリヒリしてくるまで、タールが塗られて蒸し風呂のように暑いルーフトップで、身動きもとれずにタワーの行方を、否、タワーの中や下や、飛行機の中に居たであろう人たちの運命が、この刹那にじりじりと、またはどしどし変わっていく様子を見守るしかなかった。
遠くに見えているだけのはずの煙が、少しずつ濃度を増して、この状況で無事に生きているわたしの周りの空気に溶け込んで、鼻腔を支配し始めた。この青空に、こもるような薄汚れた匂いが不釣り合いだと思った。
白い鳥の群れが、ルーフトップからほんの数ブロック先を飛んでいた。その様は、その日も前日も、たぶん1,000年前も変わっていなかった。
1時間前まであそこにあったタワーと、その場に居た人たちだけが、様々な様子に変わり果てていた。それを見ていた大勢の市民のこころも、永遠に変わってしまっていた。

マテオが、とりあえずうちに戻って情報を得よう、そしてお前は水分を摂れ、と促してくれたおかげで、こちら側の現実に舞い戻ることができた。笑っている膝を手のひらで包んでノロノロと歩き出すと、マテオが非常階段のドアを開けてくれた。
明るい場所から階段室に入った途端、その仄暗さに慄いた。画家の住む階を通り過ぎるとき、いつものターペンタインの匂いがして、ここだけ1時間前がまだ居た。

住処でたった一台の小型テレビデオで、阿鼻叫喚を観た。
マテオは手がふるえて、コーヒーに入れる砂糖をたくさんキッチンシンクにこぼした。
朝日を照り返しながらキラキラと、タワーの無数の窓から舞い落ちる大量の書類のようだと思った途端に、顔の血の気が引いていくのを感じて、口の中に生臭さが広がった。
マテオが黙ってタオルを手渡ししてくれた。ルーフトップで嗅いだ、焼け焦げた煙の匂いがした。どうしようにも、逃げ場がないのだという気持ちになった。
安全な場所で、ふたり生きて飲み食いしているこの現実が、とても滑稽に思えた。
テレビを観ていても、窓の外を眺めていても、わたしの視線も、マテオの視線も、しばらくどこにも焦点は定まっていないようだった。目に焼き付いた、数マイル先のタワーにピントを合わせっぱなしのままだったからかもしれない。

2つのタワーが崩れ落ちたほんの数十秒間は、一瞬のようにも、永遠のようにも思えた。マテオもわたしも、その様子を観ながらことばにならない何かを発していた。「泣く」などという、安直な着地点には、到底辿り着けないことを、まるで示し合わせたようにマテオとわたしは知っていた。

焦げ臭い匂いは、それから数か月も鼻腔にこびりついていた。
川を越えてやってきた書類が、路地の片隅に貼りついていた。
マテオのゴムの木の葉には、驚くほど真っ白な塵が拭いても拭いても積もった。
あの日の記憶は、細かい灰となって、長い長い間、生き残ったわたしたちの隅々にまで降り積もった。

当時の友人も恋人も師匠も、ビジネス街とは無縁の場所に居ることは分かっていた。のちに皆無事だとも分かったが、喜ぶも、悲しむも、怒るも、しばらくは自分には訪れることのないこころの活動であった。知り合いか知り合いでないかなんていう、浅い了見では済まされないような、見ず知らずの隣人たちをいちどに大勢失うことが、何故にここまで胸に堪えるのか、未だ持って、納得できる説明に行きついていない。

その年の秋も深まったある日、靴を脱いだマテオの足が臭すぎたせいで、タガが外れたように大笑いした。部屋に響き渡る自分の笑い声を感知した耳が、なんだか急に血の巡りが良くなったような、温かくなったような気がして、気付けば今度は堰を切ったように目から涙が延々と流れ出ていたことを、書いていて今ふと思い出した。

こころのひだ一本一本に深く降り積もった911の真っ白な灰が、あの日を境に少しずつだけど洗い流されていたのかもしれない。21年の時を経た今、それに気づけただけで、時に疎ましく思っていた師匠の強引さもありがたいと思えた9月12日の早朝であった。

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