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日記と、生活から得たものや学んだことを書きます

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でっちあげ(冤罪)DV日記1:連れ去りってなんですか

 2021年の冬、妻が家に帰ってこなくなった。  警察に電話したところ、「奥様は、旦那さんによるDVの訴えによって保護されている」とのことだった。  私はDVをやっていない。後で警察に確認したが、言葉によるDVも行っていなかった。だが、先に女性が「DVをされた」と主張した場合、実際にされているものとして処理されるのだそうだ。  同じような被害に遭っている男性は他にもたくさんいた。たまたま、私はそのうちの一人に会えた。  彼の家庭と私の家庭には共通点が二つあった。一つは

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    • 社会のルールを悪用するとき、性別や年齢を武器にしたくなるのだろうか

      なるべくまともに生きたいとは思う。でも、世の中が理不尽なことを要求してきた場合、どこまでそれに従えばいいのか悩んでしまう。 弁護士さんが言うには、家庭裁判所というのは女性の味方なのだそうだ。それは、きっと男尊女卑のひどかった日本の背景があるのだと思う。 そのなかで、なるべく女性を法で守ろうという理屈もよくわかる。 私が被害にあった「虚偽のDV」という行動の背景にあるのも、もともとは女性を守るためのルールだった。 ずいぶん昔、DVの被害に遭っている女性が、警察から家に返

      • たぶん、私が実際にDVをしたと決めつけている人もいるのだろう。

        ずいぶん長いことnoteを更新していない。 その間、いろんなことがあった。 私は転職し、今は軽いアルバイトで食い繋いでいる。その途中で、連れ去りやでっちあげDVの被害にあった男性とも知り合った。 季節が変わり、心と体が元気になるにつれ、新しい人生を歩んでいる自分 に嬉しくなる。また、周囲のいろんな人に感謝したくなる。 でも、まだまだ課題は終わっていない。弁護士や裁判官から書類が届く。電話をかける。事務所や裁判所で話を聞く。 なるべく冷静に対処したいと思う・・・けど、

        • 通知が鳴っても動かない

          来年、そして来年度にむけて新しい生活の準備をしている。 たぶん今月か来月には、クレジットカードの明細を見てびっくりするのだろうな、と思う。 去年の12月には悲しいことがあった。まだその問題は解決していない。 でも、今日までの間に、新しい友達がたくさんできた。 みんな、いろいろな事情を抱えているのだと知った。それはたぶん、私が自分の内側にある傷を見せたから、相手も見せてくれたのだと信じている。 勘違いかもしれないけどね。 友達が増えるほど、スマホの通知も増える。

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        • ふつうの日記
          25本
        • でっちあげDV日記
          7本

        記事

          誰かに嫌われた時のことは覚えていない。その時「嫌われた」と自覚できないからだ。

          誰かに嫌われた時のことは覚えていない。その時「嫌われた」と自覚できないからだ。

          もし私にとって「戦い」といえるものがあるとしたら、それは「DVは嘘である」ということを明らかにすることであって、妻を責めたり裁いたりすることではない。

          来月にはじめての離婚調停をひかえている。 先週、弁護士と今回の件について打ち合わせた。昼間に弁護士事務所へ行ったら、私のひとつ前の相談者が長々と話し込んでいた。 私は弁護士に「こういう仕事って、いそがしいシーズンとかあるんですか?」と尋ねた。すると彼女は「年末と年度末ですね。新しい年を二人で迎えたくないという人が多いようです」と答えた。 偶然にも、その日の夜にある人と知り合った。 彼は私と同じく、でっちあげDVの被害にあった人だった。今はもう疑いも晴れて、離婚調停と裁

          もし私にとって「戦い」といえるものがあるとしたら、それは「DVは嘘である」ということを明らかにすることであって、妻を責めたり裁いたりすることではない。

          世界中の抗うつ薬のうち、2/3はアメリカ人が消費しているそうだ。なぜ、ポジティブ思考の本場であるアメリカで?

          来月にはじめての離婚調停を予定している。 今週、弁護士とそのための打ち合わせをする。 とても不安だ。私の言いたいことと、妻側の要求はどちらがより重視されるのか。双方にとってちょうどいい妥協点はあるのか。 調停の途中で、誰かが私の心を不意に傷つけたりしないだろうか。 そういう想像が湧いてくる。 それに対して、今年の夏頃は「私は逃げない!戦うんだ!」というような強い気持ちで解釈していた。「あきらめないぞ!」みたいな。 もちろん今も、できたら自分の希望がなるべく実現して

          世界中の抗うつ薬のうち、2/3はアメリカ人が消費しているそうだ。なぜ、ポジティブ思考の本場であるアメリカで?

          今の世の中は、どうも「不安や悲しみをポジティブに再解釈しなければ」という雰囲気があるように感じる。

          友人が精神的におかしくなってしまった。 とげとげしくなり、排他的になり、強引な方法で他人を傷つけたり、そのことを作り話や嘘で正当化したりする。 私は、はじめのうちは彼に対して「なんか性格わるくなったな」としか思わなかった。でも、今は「大丈夫かな」と心配している。 彼がうつ病になりそうな気がするからだ。 ポジティブでなければならないという意識が、ネガティブな出来事を直視しない現実逃避へとつながる。 友人の場合は、どんな出来事があったのか、私に直接言うことはなかった。

          今の世の中は、どうも「不安や悲しみをポジティブに再解釈しなければ」という雰囲気があるように感じる。

          でっちあげ(冤罪)DV日記3

          何も起こらない時間が私を苦しめる  関係機関からことごとくシャットアウトされ、私はなす術もなかった。  妻からアクションがあったのは9月の中旬だった。それまで、いつ、誰に呼び出されるか、とつぜん逮捕されることはあるのかなどといった不安を抱えたまま毎日を過ごすことになった。  まだ育休の期間中だった。妻と話し合って、最長の1年間を希望したのだ。その間に転職するためでもあった。より給料の高い仕事に就く必要があったからだ。そして何より、妻が精神と脳に病を患っていることが気がかりだ

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          でっちあげ(冤罪)DV日記3

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          自分自身をこわさず、それでいて社会からドロップアウトもしない、とてもデリケートな状態で生活していたのだろう。

          社会のルールって、どこまでやぶっていいのだろう。 昔、よくズル休みする同僚がいた。その人の無断欠勤のせいで、私が休みを返上して職場へ行ったこともあった。 私は長いあいだ彼をうらんでいた。ほかにも、ところどころ手を抜いて仕事していたからだ。 その当時、彼は離婚していたそうだ。離婚といって、数日の手続きで済むような問題ではない。 私はそのことを知ってから、彼がサボっていたことの背景を感じた。 たぶん、自分自身をこわさず、それでいて社会からドロップアウトもしない、とてもデ

          自分自身をこわさず、それでいて社会からドロップアウトもしない、とてもデリケートな状態で生活していたのだろう。

          かえってその「気合の反動」がやがてより大きなダウンタイムを招きそうな気がする。

          弁護士と電話した。 次回の調停のための打ち合わせだ。 私の場合は、でっちあげDVの話がちょっと複雑な状況になっている。具体的なことは別の記事とkindleのほうに書いた。 どっちにしろ私にとって不利であることに変わりはない。 たまに、戦うことに対してすっかり疲れてしまうことがある。 もう途中でギブアップしたほうが楽かもしれない、と。 そのとき、「いや、私はあきらめない!戦うぞ!」と決意すると、かえってその「気合の反動」がやがてより大きなダウンタイムを招きそうな気が

          かえってその「気合の反動」がやがてより大きなダウンタイムを招きそうな気がする。

          ART POPと現実逃避

          ポップアートは昔から知っていたけど、アールポップ(ART POP)という言葉は初めてみた。 言葉の定義もほぼポップアートと同じようなものだった。アール・デコやアール・ヌーヴォーのように、アールポップがあってもいいじゃないか、という著者の主張が見える。 この本は画集であり、エッセイでもあり、学術書のようにも読める。 いまシティポップとかヴェイパーウェイブと呼ばれるような、山下達郎のレコードジャケットみたいな雰囲気の作品が多い。 私は、日常生活とつながった本が好きだ。

          ART POPと現実逃避

          反応されてもされなくても、よけいにつらくなるからだ。

          連れ去りや実子誘拐をされた人たちのTwitterアカウントを見ている。 私も同じ目にあったので、なにかヒントはないかと思ったのだ。 いわゆる「連れ去り」は、自分の子供を連れて逃げることだ。 ただ逃げるだけなら、いつかパートナーに見つかってしまう。そこで、警察に「パートナーからDVを受けている」と言って、保護してもらう。 というわけで、でっちあげDVと連れ去りはセットだ。 片方だけがなさている場合もあるのだろうか。 連れ去られたほうは、ほとんどの場合は男性になるのだ

          反応されてもされなくても、よけいにつらくなるからだ。

          人生を「よくしなければ」というプレッシャー

          経済の計画というのは、右肩上がりにずーっとアップしていく前提で作らないといけないらしい。 しかし現実の社会はそんなペースで発展しない。 個人の生活もそうだと思う。 もし個人の「人生のよさ」「生活のよさ」をグラフにしたなら、それはジグザグするだろう。 そこで大切なのは、その「よさ」をどんな基準で測るか、ということだ。 なぜなら、そこをよく考えないと、ほんとうはそこそこ幸せなのに不幸と思ってしまうかもしれないし、誰にでも当てはまることを、自分だけの運命だと思ってしまうか

          人生を「よくしなければ」というプレッシャー

          いい孤独とわるい孤独

          孤独であることは悪いことだと思う。 どう悪いかと言うと、健康に悪い。ずっと一人で生活していると、心が必要以上に疲れてしまうからだ。 一方で、いい孤独もあるかもしれない。 それは、他人の影響をうけないようにする時間とか、自分だけで自分のために何かをしてあげる時間とかのことだと思う。 その時間のいいところは、自分自身も他人に影響を与えていないことだ。 それはアニメ作家が「宮崎駿に影響を受けました」という意味の影響ではない。もっと小さいことだ。 自分だけの時間を他人に見

          いい孤独とわるい孤独

          遊びと遊びの間の思い出がない

          自由律俳句を書きました。 4.なぜいつも同じタイミングでレジに行ってしまうのだろう 5.遊びと遊びの間の思い出がない 6.もう少しだけ大きいサイズのがあればよかった

          遊びと遊びの間の思い出がない