合理的な完璧主義/非合理的な完璧主義
どこの職場でも完璧主義な人はいる。職人気質でこだわりが強く頼りになる存在だ。完璧主義者の多くは、
仕事の質 × 努力の投下量 = 満足度
という暗黙の方程式に基づいて仕事をしている。一見当たり前に思えるこの考え方だが、完璧主義者のこの式の解釈にはいくつかの問題が見受けられる。
完璧主義者の負の側面として、完璧主義者は往々にして仕事を抱え過ぎ、他人に任せることができない。それによって組織全体の生産性向上に貢献できない。常に時間に追われ、余裕がない状態に陥りがちだ。これらの問題の根底にあるのは、多くの場合「努力の投下量」に対する誤った認識である。
時間に対する誤認
仕事の質 × 努力の投下量 = 満足度
の式を構成する仕事の質は個人の能力に大きく左右される。そのため固定的であると見做されやすい。したがって、完璧主義の傾向がある人はアウトプットの満足度を高めるには努力の投下量を増やすしかないと思考する。だが多くの人がここで重大な見落としをする。それは、長期的・持続的に継続することができる努力の投下量には上限があるという事実だ。
自身の仕事に満足いく完成度を求める人の多くは、無意識のうちに時間は無限にあるという前提を置いてしまう。しかし、現実には誰もが24時間という同じ時間の中で生きている。この認識のズレが、過剰な労働時間、私生活や家族を犠牲にする傾向、慢性的な睡眠不足といった問題につながる。
自分の心身を疲弊させるような式に縛られることは、長期的に見れば明らかに非合理的なものだ。
満足度に対する誤認
また、完璧主義者が
仕事の質 × 努力の投下量 = 満足度
の式で意図する満足度は往々にして主観的なものである。アウトプットが客観的な要件を満たしているにもかかわらず、微に入り細を穿つ視点で物事を見てしまう結果、主観的な意識を満足させるには至らないと感じ、不満を抱える。重要なのはここでいう主観は多くの場合どこまで行っても自己満足の世界であり、客観的な十分さとのバランスが取れていないことが多いという点である。
客観的な要件の水準を超えてでも、完璧主義者は主観的な満足度を追い求める。そのために努力の投下量をさらに増やす。だがその努力の投下量の価値は明らかに低い。客観的な要件を超えて主観的な満足度を満たす仕事の量は、合理的な意味がないからだ。
このように、時間が無限だという前提を無意識にとり、主観的な満足度を追求する完璧主義はとても非合理的なものだと言える。
合理的な完璧主義とは
完璧主義者が上述のような非合理性に搦めとられずに合理性を追求するには、仕事の上で完璧を期する際の式を再定義する必要がある。
従来の考え方:仕事の質 × 努力の投下量(∞前提) = (主観的)満足度
から、チーム全体の効果を最大化する新しいアプローチへの転換が必要なのだ。式にすると以下のようなものだ
自分の貢献役割[仕事の質×努力の投下量(有限)]
+他者(1)の貢献役割[仕事の質×努力の投下量(有限)]
・・・他者(n)の貢献役割[仕事の質×努力の投下量(有限)]
= 客観的に必要十分な要件
この新しい式は、努力の投下量の限界を認識しつつ、チーム全体としての最適化を目指すものだ。この式において完璧を期するのが合理的な完璧主義と言える。
この式では、自分の強み/弱みを踏まえた役割の定義があり、同時に、他のチームメンバーの役割定義と組み合わせたうえで協働するという前提に立っている。
仕事の質で周囲を圧倒するような能力を持つマネジャーがいたとする。その人の時間が無限に存在するとしたならば、仕事を任せずに自分が抱えた方が良い仕事ができるとその人は思うだろう。だがこの人が上記の式で考慮すべきは、n人存在する他者との協働作業の中で最大限に貢献しうる役割とは何かを定義することなのだ。この人が仕事の上で客観的に必要十分な要件にチームが到達するにあたり、最大限に貢献しうる役割に仕事の質×努力の投下量を当て込んでこそ、最良の貢献ができうる。
もちろん、自身が最大限に貢献しうる役割とは何かを探求するに当たっては、他のメンバーとの資質・能力の比較をして適材適所を追求することが必要となる。
そして、式が目指す結果は(主観的)満足度から客観的に必要十分な要件に置き換えていく。主観的な満足度は煎じ詰めるところ自己満足に過ぎない。この視点に縛られているということは、例えば顧客に対する洞察力が足りないという課題を浮き彫りにすることでもある。自分だけの視点に執着し、顧客の目線を十分に斟酌することができなければ、客観的に必要十分な要件を満たすことはできないだろう。合理的な完璧主義に至るにはこのような課題と向き合うことを要するものでもある。
最後に、合理的な完璧主義の要諦を整理しておこう。
投下できる時間と労力の有限性を前提とする
顧客に対する洞察を通じ、客観的な成功基準を設定する
主観的な満足度に自己を誘引する意識に注意深くなる
他者との協働の中で自分が最大限貢献しうる役割を明確に定義する
他者が最大限貢献できる役割も定義し、適切に仕事を分担する
これらの変化を通じて、完璧主義は非合理的なものから合理的なものに転換する。仕事の上で完璧を追求することはて悪いことではない。しかし、その追求が合理的なものかどうかの追及をセットにすることで、完璧主義は価値を帯びるのである。
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