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”嫌われること”への恐怖を超えよ

性格特性を基礎づけるのは「何に恐れを感じるか」であると、タイプ論の大家の先生がおっしゃっていたそうです。

エゴグラムにおいてNP(私の言う支援力)の高い人は何ゆえにNPが高い人格となり得ているのか、それは「他者から必要とされないと生きていけない」と考えるのです。他の指標で言えば、

CP(理念力):完璧・完全でなければ生きていけない
FC(活発力):自分の利を主張しなければ生きていけない
AC(協同力):自制しなければ生きていけない

という恐れが根底にあるという考え方で、私的には納得感があります。これらは、個人が無意識に呪縛されているいう意味で、他のノートでも述べたシャドウにあたると考えてよいでしょう。

ところで、「人に嫌われてはいけない」は日本人を呪縛するシャドウの一つです。これは、個人の性質的にはNPとACに紐づいている印象ですが、日本社会全体を覆う、AC(周囲に気遣いできない人は常識外れだ)という無形の風土が上記シャドウを強化しているという側面もあるでしょう。

シャドウ(ここでは嫌われてないけないという強迫観念)は、確かに過去の自分を守ってくれた無意識の感情のパターンだったりします。ただ、自分の成長が進む中で嫌われることを過剰に恐れる感情のパターンは、自分の内面に不都合を来たし、かえって人間関係で不調和を起こすことにつながってしまいます。以前にも述べた通り、人間の垂直的成長は関係性から自律性へ、自律性から関係性へというスパイラルを描きながら進むからです。

ループのやつ

周囲に適応するパターン(関係性)から一段成長するには、自己を押し通すパターン(自律性)が必ず必要になるのであり、本来は嫌われてでも進むということがまさに成長課題になっていたりするのです。これができなければ、成長は停滞することになります。

シャドウを越えていくのは心理的なハードルが高いので、意識して乗り越えていく必要があります。その際に必要なのは、①シャドウはあくまで無意識の前提で、真理ではないと知ること、②自分の心理的ハードルは別にして、合目的的なアプローチは何かを見極める目を養うこと、の2点だと思います。

①について。私も「人に嫌われてはならない」というシャドウを持っている方ですが、最も身近な存在である私の妻は「人に嫌われても一向に構わない」というスタンスで、毅然と自らの主張をし、空気を読まず生きています。彼女は「人に嫌われるのは不快である。だからと言って、自分の信念を曲げるのはより耐えがたく不快である。ゆえに自分の主張を曲げるなどありえない」と述べます。典型的なCPタイプです。それでも、彼女はその自己の強さを処世術に昇華させて雄々しく生きています。こうした存在が身近にいることは、自分のシャドウを相対化する材料になるでしょう。

②について。常に自分の心の反応に基づいて行動する前に、目的を問う視点を持つことです。嫌われるかもしれないが、この局面で本来はどのようなことを実現すべきなのか?嫌われることを納得ずくでも目的を遂げるために行為に踏み切る価値があるのかどうか、こうした透徹した視点を持つ努力をすることですね。

いずれも、コーチングを受けることでカバーされる部分はあるでしょう。

ふと思いましたが、コーチングの業界にはNPの高い人が多く、「クライアントに嫌われたくない」という執着を持つ人が一定程度いるような気がします。道を外れそうなクライアントに苦言を呈するのもコーチの役割なのだと思いますが、それは業界的なシャドウになっていそうな気もしますね。



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