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人には固有の熱源がある

私たちは誰しも、心の奥底に「熱源」を持っている。それは、自分を情熱的に突き動かす源泉であり、生きるエネルギーの根幹をなすものだ。しかし、この熱源は常にフルスロットルで稼働しているわけではない。一人ひとりに固有の熱源には、固有の発動条件としての「共鳴パターン」が付随しているのだ。

共鳴パターンとは、熱源が活性化するために必要な、環境との相互作用の型のことを指す。ちょうど、ある特定の周波数の音に反応して共鳴する音叉のように、熱源はそのような共鳴パターンに合致する特定の状況や条件と出会ったときに、活性化され、熱源を開放する。

例えば、勉強嫌いな娘がいた。その子は、気心知れた人と共に過ごすことが大好きな子だった。だから、いつも親しい友人とよく遊びに出かけていた。勉強そっちのけで遊んでいるように周囲には見えた。

しかし、ある日、その娘は親しい友人から塾の自習室での勉強に誘われた。最初は乗り気ではなかった。でも、友人と一緒なら、と思って付いていった。そして、自習室で友人と一緒に勉強してみると、それがとても楽しいことに気づいた。

自習室では、友人とお互いに教え合ったり、励まし合ったりしながら勉強を進めた。一人では続かなかった勉強も、友人と一緒なら苦にならない。むしろ、友人との絆を深める素敵な時間にさえ感じられた。

その結果、その子はめきめきと成績を伸ばしていった。周囲の人々は、娘が勉強好きになったのだと思ったかもしれない。しかし、実際のところ、娘は勉強そのものが好きになったわけではなかった。

娘が本当に好きだったのは、気心知れた友人と共に過ごすことだった。勉強はその手段に過ぎなかったのだ。つまり、娘の熱源の発動条件は「気心知れた人と共に過ごす」という共鳴パターンにあり、その共鳴パターンが「一緒に勉強する」という形で現れたとき、勉強に対する内発的動機が生まれたのだ。

このように、人はだれでも熱源を持っている。その熱源は特定の共鳴パターンと結びついたときに、初めて開放されるのだ。

しかし、多くの場合、例えば教育の場面で親は子供の共鳴パターンを考慮せずに、外発的な動機付けで勉強を強いがちだ。賞罰を与えたり、圧力をかけたりしながら、勉強を促すのだ。これは子供の義務感や危機意識を発動させるかもしれないが、様々な弊害を生む。

外的な圧力による動機づけは、子供の内発的動機を損ない、学ぶこと自体の楽しさを奪う。また、自分の感性や興味を無視された子供は、自己肯定感を失い、適応力を損なう可能性もある。さらに、子供の潜在的な才能を見逃し、画一的な教育を強いることで、本来なら伸ばせたかもしれない可能性を潰してしまうことにもなりかねない。

同様の問題は、教育の現場だけでなく、職場でも起こり得る。上司が部下をコントロールしようとする意図そのものが、共鳴パターンの発見と熱源の発動を阻害するのだ。

コントロールの意図は、個人の多様性を抑圧し、内なる声を斟酌しない。部下は自分の熱源と向き合う機会を奪われ、外的な期待に応えることだけを求められる。その結果、多くの人が自分の情熱を見失い、受動的な生き方に甘んじてしまう。

これは、個人の成長と自己実現を阻む深刻な問題だ。人は本来、自分の内なる情熱に従って生きることで、最大限の可能性を発揮できるはずだ。しかし、コントロールの圧力の下では、その情熱は埋もれたままになってしまう。

だからこそ、親や教育者、上司には、コントロールではなく、支援の姿勢が求められる。子供や生徒、部下の内なる声に耳を傾け、その熱源を見出し、育むこと。そして、その熱源が自由に発揮される環境を整えること。それが、真の意味で個人の成長を促し、組織の力を引き出すことにつながるのだ。

このように、人はそれぞれ固有の熱源を持っている。そして、その熱源は特定の共鳴パターンと結びついたときに、初めて力を発揮するのだ。

ビジネスの世界でも同じことが言える。ある営業マンは、数字を追うことに喜びを感じない。しかし、お客様の問題を解決することには大きなやりがいを感じる。彼の熱源は「人の役に立つこと」にあるのだろう。だから、営業という仕事に「お客様の問題解決」という共鳴パターンが付随したとき、彼は驚くべき成果を上げることができるのだ。

また、ある研究者は、競争的な環境では力を発揮できない。しかし、自由に探求できる環境では、独創的なアイデアを次々と生み出す。彼女の熱源は「未知なるものを探求すること」にあり、その共鳴パターンは「自由な環境」なのだろう。

このように、人はそれぞれ異なる熱源と共鳴パターンを持っている。同じ状況でも、人によって受ける影響は大きく異なるのだ。だからこそ、画一的な モチベーションの理論ではなく、一人ひとりの熱源と共鳴パターンを理解することが重要なのだ。

マネジメントの役割は、部下の熱源を見出し、それを発火させる環境を整えることにある。部下との対話を通じて、その人の情熱の源泉は何なのか、どのような状況で力を発揮するのかを探ることが大切だ。

そして、その熱源と共鳴する仕事や機会を提供することだ。数字には興味がないが人との交流が好きな営業マンには、顧客との関係構築を主とする役割を。自由な探求を好む研究者には、あえて期限を設けない研究テーマを。それぞれの熱源に合わせた仕事の割り当てが、エンゲージメントを高め、組織のパフォーマンスを押し上げるのだ。

学校教育の現場でも、同じ視点が必要だろう。勉強嫌いな子どもに、ただがむしゃらに勉強を強いても効果は上がらない。むしろ、その子の熱源は何なのかを見極め、それに合った学習の形を提供することが重要だ。友人と一緒に学ぶことが好きな子には、協同学習の機会を。身体を動かすことが好きな子には、体験型の学習を。それぞれの熱源を活かした教育こそが、子どもたちの可能性を最大限に引き出すのだ。

人にはそれぞれ、固有の熱源がある。そして、その熱源は特定の共鳴パターンと出会ったときに、初めて輝きを放つのだ。私たち一人ひとりが、自分の熱源と向き合い、それを活かす環境を整えていくこと。また、他者の熱源を認め、尊重し、応援していくこと。それが、個人も組織も社会も、より豊かに成長していくための鍵となるのではないだろうか。

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