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西田哲学に関する武術家の神コメント

前記事で解説した西田哲学の重要概念である純粋経験について、太極拳教室の先生からその圧倒的慧眼を感じさせる神コメントをいただきましたのでそのまま転載します。このコメントのすごさ、武術に携わっている方であればおわかりいただけると思うのですが。。。。
コーチングにおける傾聴はどうやって深まるか?

参考記事はこちら
https://note.com/corchingcom/n/ndea8a4df5437

以下先生からのLINE ※太字は私によるものです。
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(純粋経験の)ご解説頂きありがとうございました。ネット上の内容も垂水さんのお話も、読めば読むほど純粋経験というものと太極というものが限りなく同義に近いと感じました。

純粋経験というものと太極はほぼ同義と仮定した上での以下感想です。

自我を手放していく上での問題などについても同様の解釈です。
自分主体で自己を手放していくのは実際問題難しいと思っています。
武術というは自分一人で成り立つものではなく、基本相手主体です。
相手に身を委ねることを覚えない限り自己の解放は身につきません。
しかしただ相手に委ねるだけではダメで、自分自身をよく知っている必要があります。そうすれば相手の流れに乗りながら自分を犠牲にしなくてよくなります

組織における問題も自分も同様に思います。
太極拳における自己実現(=中心の流動的確立、内容物の密度を高める)は相手がいないことには達成できません。
自分が上手くいくためには相手への尊重が一番大事だということが身体と心の両方で体感理解ができれば、太極への道は開けてくると思っています。
(この太極は純粋経験と置き換えても大丈夫でしょうか?)

人との一体感については自身の密度が濃くなればなるほど、相手との一体感の密度も濃くなり太極の理解が深まってきます。

先日プロの音楽家の方に中心取りを指導していたところ、ものすごい感度で中心をとってくるのでびっくりしたのですが、やはり日頃から楽器と一つになることやオケと一つになることを訓練している方は密度が非常に濃いですね。

垂水さんが太極拳で人の中心を綺麗にどこも等間隔で包む感じで捉えるのはそれと同じなのだなと思いました。

目には見えないけど、確実に存在する(感じることもできる)繋がりが、
様々な問題を解決してくれる一つの手段だと思っております。

垂水さんのブログが楽しみです。
書いたら是非教えてください!
(引用終わり)

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先生は、太極拳における自己実現を中心の流動的確立、内容物の密度を高めることの2点と表現していました。

太極拳を齧った私からは、これは慈愛深い人格を確立して心身ともに健康に生きるあり方と言い換えることができると考えています。

そして次に先生は、そうした太極を体現する生き方は、自我を手放すことが不可欠で、それは相手がいないことには達成できないと指摘しました。

武術の鍛錬を通じて相手に身を委ねることを覚える。そうすることを通じて自己の解放ははじめて実現される。しかし、その関係性だけで太極は成り立たず、自分自身をよく知り、深めていく必要があるとも指摘しています。

これって、武術に限った話ではなく、人生一般に通用する教訓として受け取るべき考え方なのではないか?私はそう思いました。

我々は人生を通して、いろいろ大変なこともあるけど、慈愛深い人格を確立して心身ともに健康に生きるあり方をしたいということについては、是非とも願いたいと思うのではないでしょうか?

そのような人生を送るために、自我中心的な存在として生まれてくる人間が、他者との関りの中でできるだけ多くを学び、相手を信頼し、相手と心を通わせ、相手に与えられながら自己を解放するという関係性の中で自己を成長させていくという軸がある。

それだけではなく、上記関係性の中で自分が自分を深く理解し(純粋経験に親しむことを含む)、相手との関係性の中で相手に自己を分け与える経験をしながら、深い自己を形成していく。

上記2つの営みを通じて人は、良き人格と健康的なあり方を獲得していく道がある。

であれば、このような運動は、武術の体系の世界だけで完結してしまってはもったいない。このエッセンスをコーチングにも、カウンセリングにも、教育にも、仕事にも、家庭にも持ち込んでいけば、より健やかに日々を送れる人が増えるのではないかと感じます。

そうしたことをじっと考える契機をいただいた神コメントでした。

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