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北海道工業局【サッポロマチナカリゾートガイド】

2022年7月末から8月いっぱいにかけて、札幌市の予算事業であるSAPPORO MACHINAKA RESORT が催行され、コロナにもかかわらず屋外散歩という安全性が高いイベントのためかかなりの人に2時間のツアーを予約頂き、私も6回15名程度のご案内をした。

また一部サッポロコンシェルジュという別の札幌市の予算事業ともコラボしたりして、充実した内容だったと思う。

沢山の魅力的な風景に出会った。


今回特に意識したのは、創成イーストの個性を成立させたと言っても過言ではない、開拓使の工業局及びその周辺の工作所の存在を意識することであった。

イーストが下町と言われる所以は、札幌市が1866年に完成した大友堀(現在の創成川の原型で、現在の南3条から北6条の部分に相当する)により灌漑と水路が開けた事による街が、札幌が計画都市として建設される以前からここにできており、札幌のいわば都市計画では計算できないコミュニティが先んじて存在したためだと思うのだ。

それゆえ、海運や商人などの活気のある場所であり、工業局も豊富な水や地形を利用して創成イーストにできた時にも必要な人員は確保しやすかったのではないだろうか?


旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を主導した開拓使工業局の庁舎として、1878年に現在の中央区大通西2丁目に建設された。古地図を見ると入口は西を向いていたようだ。その背後には地形の段差を利用した貯木場が2つあったらしいし、その落差を利用した水車などで木材加工もしていたようだ。

明治期には創成川を挟み、1878年つまり工業局と同年、にできた札幌農学校演舞場(時計台、この建物は開拓使関連ではないがもちろん密接に関係している)や1879年の豊平館、そして遠くないところに札幌ビールの工場2つ(現在のファクトリーである第一工場、醸造所は1876年開拓使麦酒工場、現在のビール博物館、ビール園である第二工場、醸造所は1890年開拓使の流れをくむ札幌製糖の工場としてそれぞれ開業)や1890年にできた北海道製麻(後の帝国製麻)があったので、開拓使由来や関連の西洋風の建造物が多くこの付近にあったことになる。

工業局から創成川に至る現在のイーストはそうした先進文明とそれ以前からの江戸末期?の人間らしい空間をうまく融合していたのではないかと想像する。


工業局の庁舎はさまざまな用途に転用されたあと1969年に廃止された後、1979年に北海道開拓の村に創建時の姿で移築された。


工業局営繕課は、米国から輸入した建築雛形書を参照しながら、洋風建築を習得していったという。この建物では通り抜けの玄関ホール兼階段室をもつ平面構成や、屋根の棟飾り、ポーチの破風飾り、軒下の持送りなどに、米国建築書を参照したことが確認される。旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を支えた同局工作場の現存唯一の遺構である。

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