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東札幌〜豊平 廃線跡を歩く(漕ぐ)【Yahooクリエイター】

前編の続きです。

菊水アンダーパスより南の区間はしばらく旧千歳線の以降は盛土されてところなどで確認できるが私有地が多く、なかなか確認できない。

しかし菊水アンダーパスに潜り込む昔の鉄道が走っていたスペースはまだ原形を保っていると確認できたので、反対側に回り込む。

線路はないものの、まさに40年くらい前まで鉄道が走っていた雰囲気はまだ残っている。

そして唐突にこの千歳線の廃線跡はサイクリングロードになるので、その入り口地点から、それに吸収されなかった部分を撮影。

既にここはかつての広大な東札幌駅の構内である。いつもお世話になっているコンベンションセンターや産業振興財団のように駅跡に立ったビルの横をかすめ、昔の東札幌駅のメモリアルに挨拶。

僕が札幌に来た1996年には、まだここには積まれた線路や遺構が残っていて駅前には現役の蕎麦屋があった。

東札幌駅から千歳線をたどって大谷地駅のあたりまでのサイクリングは前にやって記事にしたので、今回は定鉄の方を辿る。

と言ってもじょうてつさんなどはその敷地をマンションなどに活用しているので、それを探すのは正確には難しい。

おそらくこのワンちゃん看板あたりが千歳線との分岐だったと思われる。

そして沿線には鉄道沿にありがちな倉庫や工場がある。

近似値で常鉄を辿る。

というわけで、定鉄の豊平駅跡に到着。こちらも1996年の段階ではまだ旧駅舎が定山渓鉄道本社として残り駅前広場の商店や歩道橋もあった。
2000年少しくらいにその跡に大きなマンションがたったのだ。

これを責めてはならない、
確かに一鉄道や廃線マニアとしては鉄道跡は残して欲しい。しかし企業は食べていかなくてはならない。JR北海道も定山渓鉄道も、石炭などなくなり人が減って鉄道収入が維持できなくなった時に、そのスペースを活用して収入を得る時にスーパーマーケットやマンションの家賃収入を選んだのだ。

小樽の手宮線跡も、ある意味お金がなくて線路も撤去しないでいたところ、観光都市のシンボルとして、それ自体が人を呼べるようにしたのだ。流石にそうなるともうそれをなくそうとできないかもしれない。

廃線や廃線跡を活用したいのであれば、それで収入が成り立つ方法を考えなくてはならない。旧千歳線の大部分はサイクリングロード(ココロード)になった。してみるとここをいかに活用して、サイクリング観光客が札幌にたくさんくる、あるいは地域住民の方が助けたくならようなものにしないと、いつかなくなるかもしれない。単純な方法として、やはり機関車を静態保存でも良いからして、熱心なファンを呼び込む事も必要だ。

札幌の、いや北海道や日本中の廃線が少なくとも廃線跡として生き残るためには考えなくてはならない。廃線になったということは、その土地にとっては、第二の人生を模索しなくてはならなくなったのだから、僕らがかつて鉄道だった土地をサポートしてあげなくてはならない。

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