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アップルペンとパイナップルペン

パイナップル共和国で、今まで極力リスクを回避しながら、使い捨てに我慢してきたペンたちが、一世一代の賭けにでた、というより賭けに出ざるを得ない状況に追い込まれた。このままだとインクを吸い上げられる圧力に耐え切れず、寿命を断たれてしまう。それならいっそ、95%の投獄、弾圧のリスクを背負ってでも、より思い通りに生きられるかもしれないという希望を、残り5%に託すことに賭けたい。自らのインクで白紙の紙に「フリードマンの方程式」を書き残すことによって、もしかしたら、その方程式を書いたインクとして、後世に語り継がれるかもしれない。「フリードマンの方程式」で暗示されることは、パイナップルにペンを突き刺すようなものだから、インクを吸い上げる圧力が異常なほど強くなかったら、こんな危険なことはしなかっただろう。
 
何もしないで黙っていたら100%失われてしまうなら、たとえ5%でもチャンスがあれば、それに希望を見出して賭けてみたいと考えるのは、至極まっとうなことだ。それだけ追い込まれた絶望感が、「フリードマンの方程式」が書かれたビラを「空中散布」した。そのビラに込められた希望のメッセージは、どんなウイルスより感染力が強かった。
 
パイナップル共和国は、アップル共和国に助けを求めた。これ以上「危険なウイルス」が「空中散布」されるのを止めてほしいと。義理堅いアップル共和国は、たとえ自分が、アップルペンになったとしても、パイナップル共和国がパイナップルペンになるのを防ぐことを約束した。「空中散布」が止められた。
 
「空中散布」が止められたことで、感染力が弱まったように思われたが、何も書かれていない白紙の用紙の広がりを止めることはできなかった。何も書かれていないということは、そこに何でも自由にかけることを意味する。白紙の持ち主がそこに描くのは、自分の見たい世界、こうなってほしいと願う世界。絶望感の中に希望の光を見出そうとする目が、その白紙の用紙に見たいと思うものはどんなものか、どういうものが共有されているのか?共有されているものが誰の目にも明らかであれば、そこにパイナップルペンとアップルペンの絵を描く必要はなくなる
 

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