秋学期 遠足
茨城県那珂郡東海村にある、原子力科学館へ行ってきた。
(タイトルの写真は、その後に立ち寄った大洗磯前神社の神磯の鳥居)
原子力科学館
この施設の別館には、ぽぎのはら学園の教科書にした、
NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命ー被曝治療83日間の記録』新潮文庫 2006年
で書かれている1999年に起きたJCOでの臨界事故の現場のレプリカが置かれていると聞いて、訪ねたくなった。
事前に読んだものでは、別館に小さく配置されているということだったので、施設としてはあまり見られたくないのかなと思っていたら、受付の男性が、何も問わないうちから別館の場所を丁寧に案内してくれたので、安心した。
本館は、原子や放射線について、原子力のしくみなどを展示を通じて解説するようになっていて、放射線の通り道が見られる霧箱を見たり、放射線量モニターを使って実際に測定したり、(自分でも買ってみようかなと思ってあとで調べたら、47,900円もした!)元素の性質がクイズになっていたり、さまざまな工夫がされていた。原子力爆弾のことは取り扱われておらず(あったかもしれないけど、見つけられなかった)施設の性質上仕方がないのかもしれないけれど、残念だった。顔の半分をむしりとられたような感じがする。原子力にこころがあれば、兵器になりうる力を持つことを誇っているかもしれないから。科学の視線は、観測できるものは全部見て伝えようとするところにその価値があると思う。
別館を見ようとしたら団体客で混んでいたので、周囲をぐるりと車で走ってみた。東海原子力館テラパークに行こうとして迷い、なぜか墓地へ着いた。墓地からは発電所は見られなかった。時間をつぶそうとしてコンビニの駐車場に停車したら、すぐ前が原子力科学研究所で、門衛が出入りする車の一台ごとに障害物をおいたりどかしたりしながら確認していて、大変そうだなぁと思った。
もどり、別館に入る。汚れも含めて忠実に作られたというレプリカはとても小さい。あんなに過酷な影響を及ぼした事故の現場は、あまりにも日常的な、よくある工場の一場面のようだった。
このことはきちんと考えないと。生活感覚では危機の度合いを測れないような物質を人類が扱っているということ。
事故の経緯をあらわすメインの動画を見る。証言映像の方では、村民、当時の村長や臨界停止に尽力した研究者、被爆した作業員を救急搬送した消防隊員ら6人の証言をヘッドフォンで聴くことができる。気がついたところだけメモした。
消防隊員は、転換試験棟の事故があやまって伝わったのか「てんかん発作の患者」の搬送をすると聞いており、事故とさえ思っておらず何の防護もないまま来てしまったとのこと。被爆した作業員を救急車に乗せられず、250m屋外をストレッチャーで退避(現場の放射線レベルが高かったため)、搬送先も見つけられず、搬送まで1時間かかり(被爆者の治療をするための無菌室がなく地元の病院では受け入れられず、ヘリで放医研へいくことになる)放射線防護の準備が無かったため、部下2人のことを心配したと語った。
原子力の専門家は、臨界を止めるために、10チームが3分ごと(のちに1分ごと)に交代で作業にあたった。臨界が終わったときは、歓声ではなく、ただ沈黙があったと。
住民の避難は、350m範囲の近接住民が避難、10km圏内の住民は屋内退避となったが、当時の村長によると、当初県は全員屋内退避で良いといい、国とは連絡がつかない。守るべきは原子力ではなく村民だと思い、避難を決断し、村役場の人々もそれを受けて十全に働いてくれたとのことだった。
現場にいた人が、それぞれの立場、視点で語ることがどれだけ貴重か知ることができた。
被爆して亡くなった大内さんや篠原さんのその後については、詳しい展示がないので、やはり教科書
NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命ー被曝治療83日間の記録』新潮文庫 2006年
を参照する必要があると思う。
今回、遠足での目的は果たせたけれど、原子力発電所じたいを見忘れたので、今度は浜岡原発に行ってみようかと思う。
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昼ごはんはこちらでモツ煮定食。
甘辛が絶妙ですごくおいしい。付け合わせの小鉢も丁寧に作られていてよかったです。(写真撮り忘れてしまった)
ちとせ弥
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