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ローソンのPBデザインについて思うこと #ローソンPBに思う

この件に関しては、あまり口を開かないほうがいいだろうと考えていました。どう言葉を選んでも「批判的な立場」になってしまうからです。僕だってできれば喧嘩はしたくないし、誰からだって嫌われたくもないのです。

しかしハフポストの「ハフライブ」にローソン社長の竹増さんが登場して↓のような企画をやることになったそうで、そのきっかけとなった最所さんにも↓というようなコメントをいただいたので書いてみることにしました。

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なぜ僕がでていこうと思ったかと言えば、ローソンのパッケージを弊社(エードット/カラス)で担当していたことがあったからです「おにぎり屋」のデザインを中心に「悪魔のおにぎり」のデザインやキャラクターをつくったり、今回話題のプライベートブランドのデザインもしていました。(僕自身はデザイナーではなく、コピーライターあがりの企画・CDの仕事をしています。)

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2年ほどではありますが「コンビニエンスストアにおける大切なデザインとは何か」を考えてきた人間ではあります。

今回のデザインはすでに多くの言及があり、「読みづらい」「味の想起ができない」などの指摘は散々為されてきました。デザイナーの家をわざわざ晒して否定するなどもってのほかだと思います。なので、僕は少し別のレイヤーで話をしたいと思います。

そもそもデザインとは何か。コンビニとは何か。

当たり前ですが、デザインはそれ単体だけで「いい悪い」を判断できるものではありません。様々な事情や文脈を汲み取った結果の「最適解」を探すことだと思います。そういう意味で、コンビニの役割や文脈はかなり複雑です。利用者はあまりに多様だし、ユーザーのことを考えながらも、競合との差別化も考えなくてはいけません。

僕はデザインを「意匠」と訳した人を尊敬しています。「意」の匠なのです。複雑な環境の中で「意図、意思、意味、意義」といった「意」を形にする仕事なのだと思います。逆に言えば、「意」のないところにデザインはありません。

なので、あまり個別のデザインの良し悪しついて触れず、もっと大きな話をしたいと思いました。それは「コンビニとは何か」というビジョン(意味・意志)のような話です。話題の「プライベートブランド」はコンビニの顔であり、そのデザインはほとんど「コンビニの意思表示」と等しいものです。

僕は(あくまで僕は)、コンビニは、まず「コンビニエンスな場」であるべきだと思います。ローソンは全国に14000店舗あります。ものすごい数です。一つの店舗で1つずつ売れるだけで14000個売れるのです。全国のコンビニの総店舗数は5万店以上。電気・ガス・水道に次ぐ「第四のインフラ」とも言える存在です。2016年、玉塚社長はこう答えています。

小売業の観点から、今日の日本の社会環境を読み解く鍵として(1)高齢化、(2)世帯の小規模化、(3)商店数の減少等により、日常の買い物に困っている人の増加、 (4)産年齢人口の減少、(5)訪日外国人の増加の5つを挙げ、コンビニの更なる成長には、地域に住む人たちの変化を迅速に察知し、求められるサービスを提供していくことが肝要である

僕はこの考え方に強く共感します。超高齢化する(している)日本にいて、コンビニエンスストアの役割はあまりに重要なものです。訪れる人の数は膨大であり、性年齢国籍を問わずあまりに多様です。今のコンビニは「ダイバーシティ」に対して「コンビニエンス」を提案しなければいけません。

今回のデザインの一番の問題点は、もっとも重要だった「コンビニエンス」を捨てしまったのではないかと、という点です。読みづらく、わかりづらい。文字も小さければ商品写真も小さいのです。「わかりやすさ」「親切心」は「コンビニエンス」の大事なファクターだと思います。韓国語や中国語が併記されているのはとてもよいことだと思いますが、商品の写真も商品名ももっと見やすくできたはずです。商品写真はノンバーバルで伝わるという意味でも、とても大切な要素でした。

現PKGは3メートル離れたら誰が見てもわかりません。「近づけばいい」と言う人が多くいますが、近づくまでに一つの労力が生まれているのです。それが高齢者や視力の弱い方であればなおさらでしょう。

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また、ユーザーだけでなく、お店で働く人たちが「品出し」をしやすいか、なども大切なポイントです。今コンビニでは様々な国の方が働いています。母国語が英語でも日本でもない方もたくさんいます。だから例えば「おにぎり」のパッケージでラベルの色が別れているのは、品出しするときに色で把握できるようにという意味もあります(我々が考えたわけでなく以前からそうでした)。

僕は今回のパッケージデザインが、一部のラインナップであれば何の問題もなかったと思います。例えば、最初に変わった「飲料」だけであれば、「あ、可愛いデザインだな」くらいで終わりました。それらが好きな人たちも一定数いるでしょうし、コンビニの中の多様性を解決しているもいえます。

「コンビニの顔」となるはずの「プライベートブランド」のデザインをすべて今回のような統一をしてしまったことは、高齢者や視力の弱い方、外国の方、働く人々への配慮がかけていると言われても仕方ないと思います。それは「コンビニが存在する意味」と照らし合わせて考えたときに、とても残念な気持ちになります。

売れる売れない、という話はもちろん大事ですが、僕はそれよりも「意味や意図や意志」というものが大事だと考えます。それはもちろん「大きな意味での戦略」です。(長い目で見れば)そういった強いビジョンこそが必ず売上に結びつくと考えています。

これはとても個人的な意見ですが、僕はローソンに「CONVENIENCE & ENTERTAINMENT」を掲げてほしいと考えていました。ローソンはコンビニの中でも、とても愛らしいコンビニであり、僕も大好きな場所です。便利なだけでなく 「からあげクン」「おにぎり屋」「悪魔のおにぎり」「バスチー」「Machi Cafe」のようなユーモアや楽しさのあるエンターテイメント商品があります。それは他のコンビニにはない強みだと思うのです。そこを強化していき、訪れるたびに楽しく刺激がある、そういう場所になったらいいなと思っています。

最後に

正直に言えば、今回挑戦しようと思ったであろうことには共感もしています。雑然としたコンビニではなく、整理され、統合されたデザイン。欲望を訴求するのではなく、理性や知性で選ばれるデザイン。デザインの仕事をしていれば、現状社会に溢れた欲望へダイレクトにアプローチするばかりの広告やデザインに辟易とするのもわかります。今回の挑戦には少し無理があったように思うのです。

また、「バズったんだから成功だ」という言説には、僕は断固としてNOをつきつけたいと思います。少なくとも今回の落ち着いたデザインは、こんな騒ぎは望んだものでなかったはずです。

ただいずれによせ、今回のようにデザインが議論にあがること自体は悪いことではないと考えています。ただその度に、この国には「デザイン教育」がもっと必要だと実感します。「デザインはあらゆる事象に関わる」ものであり「よりよいものを社会に生み出す」ために不可欠な思考と技術です。それにも関わらず、それらの義務教育はもちろん、(美大を除く)大学教育ですら皆無に等しい状態です。

デザイナーは美意識を拠り所にするしかない

昨日たまたま読んでいた、IBMなどのロゴデザインを手がけた巨匠・ポールランドの言葉です。デザインは美意識の追求です。それは表面的な美ではなく、思想や意思を込めた意味での美意識です。それは哲学であり、倫理であり、人間らしさの希求です。

経営者はもちろんのこと、日本のデザインへの意識が底上げされたら、きっと今よりよい社会になると思うのです。そんな願いをこめて書いてみました。



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