声をあげられなかった広告たち。
CALL4という「公共訴訟」をクラウドファンディングやストーリーの配信を通じてサポートするプラットフォームがあります。社会の間違ったルール、時代にそぐわない慣習、個の尊厳を蔑ろにする伝統。そういったものを変革すべく、国や自治体への「公共訴訟」を応援し、サポートする仕組みです。
代表の谷口さんを筆頭に、多くのボランティアメンバーで運営されていて、ちょうど二周年を迎えました(おめでとうございます)。国や自治体という大きなシステムに泣き寝入りせずに抗うことのできる、ものすごく意義のあるサービスだと感じます。
僕もサポートメンバーとして、2周年キャンペーンを考えました。今回考えたのが、「日本初の駅貼り裁判告知」というものでした。霞ヶ関にある東京地裁では、今も多くの公共訴訟があります。例えば、同性婚の実現に向けた訴訟、入国管理局の収容施設で起きた暴行への訴訟、補償のない時短命令に抗う訴訟。
それらの「公共訴訟」を告知するためのポスターを、東京地裁のある霞ヶ関駅周辺に掲出することにしました。「何月何日何時に、こんな裁判があるよ」ということを広く伝えることと、訪れる原告へのエールになるようなものになればと考えました。それがこのようなポスターです。
しかし入稿間際になって、「意見広告である」ことを理由に媒体の「審査」が通らないという事態が起きました。何度か提案したのですが最終的に通らず差し替える(外す)こととなりました。もちろん媒体側の規定なのだから仕方ありません。通ると思っていた僕のミスです。
しかし、何が意見広告で、何が意見広告ではないのか、その判断がどのような基準によるものなのかがわかりません。例えば、オリンピックの開催を後押しする広告は掲出できるが、オリンピックにNOを言う広告が掲出できないのは公平なことだろうか。例えば、SPURが出した"「夫婦別姓」を選べない時代があった」というコピーは意見広告だっただろうか。
さらにCALL4に関しては、ただ「意見を言う」ということではなく公共訴訟のクラウドファンディングを告知するものになっているので、意見広告ではない「通常の広告」としての面も明確にあります。これが通らないのはやはり納得ができません。
また、「意見広告が一律に禁止されてしまっている」ことも違和感があります。きっと僕が想像つかないような、過激な意見広告というものもあるのだろうと思うし、そういったものを排除するべく議論しているコストも大変なものだろうとは思います。しかし「意見広告」を一律に禁止することは、社会をよりよくしようという尊い声も封じ込めてしまうのではないかという危惧もあります。
今回のキャンペーンのスローガンは「私たちは声をあげる」というものでした。広告においても、声をあげることを目指したのですが、このポスターたちは日の目を見ることはなく、声をあげることは叶いませんでした。だから今これを書いています。
一連の流れで僕が感じたことは、「声をあげる」ということは「簡単なことじゃない」ということです。この社会にはさまざまな既存のルールがあり、そこから逸脱するような「声をあげる」ことを、どこかで押さえつける力学が働いているのだと思います。ひっそりと、でもものすごく力強く。
村上春樹がエルサレム賞のスピーチで話したことを思い出します。
もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。
その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。
この社会のシステムはとてもよくできていると思います。それらの大半は、普段、私たちを「守る」ために機能してくれています。でもそこから一歩はみ出そうとする人を蔑ろにし、時に糾弾するようにもできていると感じます。そしてシステムに抗うことは、本当に難しいことです。学校でも、会社でも、社会でも。そこにはたくさんの圧力が存在する。
だから僕は"「声をあげる」を応援する"というCALL4の取り組みは、ものすごく尊いものだと思っていて、これからも応援し、サポートしていけたらと考えています。
ひとりひとりの、か弱くも勇気ある声から、社会が変わっていくのだと信じているし、そのような声を広げるために広告という仕事を使っていけたらなと強く感じる、一連の出来事でした。
声をあげることのできなかったポスターたち
代表の谷口さんからのメッセージ
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