1月3日

元日の地震から園の様子も気になり
少しだけ見に行く
必須ではないが施設管理者としても
行かざるをえないのが
園長職というものかもしれない

明日から通常運転の園も多いことだろう
社会全体が追い立てられるように
仕事をするのではなく
人生を楽しめるような余裕のある
時間の流れを切に求める

帰宅のバスで何気なく見ていると
気がついたことがあった
※特定の誰かを批判しているわけではない
保育や子育ての情報に
「〇〇がいい」「〇〇がきく」「〇〇はおすすめ」
まるで商材のようなフレーズが飛び交う
そこで気がついた

学びたいと思う人には学べることが必要で
学びたいと思わない人にはお節介でしかない

流れる情報を見ていて
お節介というか
間違った情報を流していないかと
思うこともある
今の学ぶ側の考え方もよくないが
答えを求め、得たものが正解だと
思い込んでしまう風潮がある

問題や疑問の中には
答えがひとつではない
答えが時間や成長によって変化していく
答えが相手によって違う

これは教育や介護、子育てなどの
人と人が相対する職業もしくは関わりで
原則とも言えることではないか
つまり方法を学んだとしても
それが使えるかどうかは
相手によるし時間(タイミング)や自身の成長
そして答え自体がひとつではない
これが大事で「かもしれない」
あくまで可能性

魚のいない池に竿を垂らしても
魚は釣れない
けれど
魚の釣り方をしれば
どの池に行っても困らない
あとは
魚の有無を知るにはどうするか

学びは大事だが
学びが全てではない
順序があるだろう
学び、実践し、内省して、足りないものは学ぶ
それを繰り返し
進んでいくことが
答えに近づいていく
そのときの自分の答えに


よろしければサポートお願いします!╰(*´︶`*)╯♡