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私の昭和歌謡35 星影のワルツ 1966 1968

別れにもいろいろワケはあるけれど涙がにじむワルツの調べ


私が不思議に思っているのは、どうしてこの曲が名だたる昭和歌謡曲を押し切ってヒットしたんだろう?

「黒ネコのタンゴ」「だんご三兄弟」「グッドナイトベイビー」時の主流に混じって、たまに、こういう異色の曲がヒットする。

日本の歌謡曲をナメちゃいけない。そこは、ありとあらゆるジャンルがつまったおもちゃ箱だ。

「星影のワルツ」はいつの間にかヒットして、いつの間にか多くの人々に歌い継がれることになった。アジアの国々にも浸透するほどの人気となった。

歌手、千昌夫は、歌手だけにとどまらず、不動産王と言われ、外人の奥さんと結婚し、飛行機を操縦し、ロールスロイスに乗り、自己破産した。

ワルツだから、もちろん3拍子だ。ワルツは、右に揺れ、左に揺れると、とても気持ちが良くなる。

私は定年まで公立中学校に勤務していた。宴会が盛んだった頃である。お開きの前に、ある学校は「校歌」を歌ったりした。何故か「星影のワルツ」を肩を組みながら歌った学校もある。

多くの会社が、宴会を人間関係構築の行事としていた頃、お開きでは「星影のワルツ」を歌ったものだ。

それが、平成になって変な噂が出た。この歌詞が、部落出身者から購入したものだと言う嘘である。

ある同和問題研修会で次のような講演内容が話された。

さて、皆さん、千昌夫さんが歌って大ヒットした「星影のワルツ」は、よく知っていらっしゃるでしょう。今から、私が歌詞を読みますので聴いてください。(1番から3番まで読む)

 私は、この歌が大好きでよく二次会でよく歌っていました。しかし、同和問題研修会で、この詩の背景にあるものを学習して以来、歌えなくなりました。
 それは、この詩は、同和地区出身の人が周りの反対にあって自分が一番好きな人、結婚しようと心に決めた人と別れねばならなくなった心情を歌ったものと知ったからです。
 もう一度歌詞を思い出してください。「あんなに愛した仲なのに」、「今でも好きだ死ぬほどに」、「一緒になれる幸せを、二人で夢見たほほえんだ」、「遠くで祈ろう幸せを」この言葉一つ一つを読んでいると、愛する人と別れねばならない作者の無念さ、部落差別に対する憤りが伝わってきます。
 この歌を歌う時の千昌夫さんは、真剣に歌っています。部落差別の不当性、部落差別を無くそうと訴えながら歌っているように思えてなりません。このことを思うとき、「この歌は酔っぱらって歌う歌ではない」と二次会、三次会で歌えなくなりました。
(嘉島町行政職員同和問題研修会よりH10.11)

あきれた。バカヤローだ。

昔から、日本人によーく知られ伝わったものを使って、それが在日や同和やアイヌや男女共同参画や、そしてLGBTと結びつけるのが上手なんだ。

この話を聞いて、素朴な愛の別れの歌が汚されたようで、大変悔しい気持ちになった。

明るいような、寂しいような、一人で歌うより、みんなで歌いたい、そんなワルツの演歌が日本に生まれたことを誇りに思う。



【参考資料】




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