私の昭和歌謡28 ブルー・シャトウ 1967
森トンカツ泉ニンニク囲ンニャクまれてンプラと歌って帰る
ものすごく流行った。みんなが知ってた。みんなが口ずさんだ。
こんな男ばっかのグループなのにww
しかもね、みんなが替え歌を歌えた。お母さんまで、🎵森トンカツって歌いながら、夕飯を作った。
自分のことをオンチだって思っていて、いつも歌なんか歌わない妹だって歌った。ある日私は、妹の替え歌を聞いてしまった。
そのくらい、Aメロはつぶやくように、語るように歌えたんだ。
フルートを持って歌っている井上忠夫さんが作曲をしている。彼は、自分が洋楽が好きだからそれっぽい曲が作りたかったんだって。少し経って「学園天国」を作ったんだからね。
この曲がこんなにヒットしてしまったから、GS(グループサウンズ)は、売れるために歌謡曲路線になってしまった、と言っている。
うーん。違う。この時代、私たちは覚えやすくて、歌いやすくて、しかも外国っぽい物語のある曲をほしかったんだから。そんなこと言わないで。
この曲のサビ🎵きっとあなたは 赤いバラのー🎵で平行調へ転調する。マイナーで始まった曲が、一気に明るく広がりを持つ。鳥肌がたつ。
小学生の私は転調なんか知らなかったから、このサビを聞いて、何度も鳥肌がたて!たて!とばかり、テレビにかじりついた。今と違って「この時」を逃すと、もう聞けないんだから。
ファ#シー から ファ#ソラー のラーで、この不思議は起きる。音楽って不思議。この部分だけで、私はこの曲のとりこになった。
そうそう、フルートっていう楽器も知らなかったから、あんな珍しい楽器ができる男が、きっと、このグループのリーダーなんだと思っていた。
それは違って、ジャッキー吉川なるドラマーがリーダーだった。そういえば、若々しいGSに比べて、このグループだけが、なんかオジサンぽかった気がするww
井上忠夫(大輔)さんの最期は悲しい。網膜剥離の手術経過が思わしくなく、妻の介護もあって、58歳で自殺。翌年に、死後数ヶ月経った妻の遺体が発見された。そして翌年、ふたりはやっと静かに霊園に眠った。
静かに眠るブルーシャトウ。
やっぱり、いい曲だね。
【参考資料】
【前回の記事】