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私の昭和歌謡22 この広い野原いっぱい1967

歌声に耳をすませて憧れる恋に恋する少女の私


森山良子のデビュー時の歌声は逸品でした。今はかなり工夫や努力を重ねたのか技巧的になってしまいました。

小学生の私は歌が好きで、家の中で本気で毎日歌っていました。本気でww

うるさいので、母は地元の少年少女合唱隊へ入隊させて、日曜日の静けさをつくりました。でも 平日は同じこと。

歌謡曲は合唱曲とは違うんです。魅力の度合いは格段の差があります。私は歌謡曲が好き。でも森山良子の声は、そのどちらをも網羅するものでした。

「この広い野原いっぱい」

この歌が、私のダンナは大嫌いww  非現実的な描写、森山さんの高音の裏声、リベラルな左の要素いっぱいの歌だから。

同時期に森山加代子という歌手もいて「白い蝶のサンバ」が流行っていて、こっちの方がずっといいや、とダンナ。

私は「この広い」が好き。自分が歌いやすいから。みんなで歌えるから。それだけ。

最近、私は森山さんと息子のデュエットを聞きました。失礼だけれど、プロ二人のパフォーマンスじゃない。でも、心打たれたな。

それは、私と息子もそうだけれど、男女とはいえ、親子は声質がそっくりなの。だからデュエットは聴かせるより、二人がとっても気持ちがいいんだ。

この演奏で残念なのは、森山さんがキーンと響いてしまう高音をやめて、直太朗くんの声に合わせれば、もっと落ち着いて聞けたのに。

今更ながら、ダンナが嫌いな声は”ここかー”と実感。

さて、私は森山さんヒット曲は、歌詞カードなしで歌えるほど、当時歌いまくっていた。カラオケじゃない。昼間の風呂場。裏庭。屋根の上・・・

でも、生涯かけて好きな曲は「オーブル街」

作詞は「イムジン河」の松山猛。でもこの歌はリベラル左派じゃありませんよ。寂しい愛の歌です。

作曲は加藤和彦。やっぱりね。私はフォーク前世の頃一度だけ、加藤和彦の弾き語りを生で聞いたことがありました。すごく音がいいギターと震える高音で「不思議な日」を歌っていました。これも二人のコンビ。

私は歌うのが好きだから、歌詞なんかどうでもいい、歌いやすい言葉があれば、という考えだったけれど、この頃から、歌詞の持つ世界が歌に及ぼす影響は大きいと感じるようになったんです。

「オーブル街」

私はスリーコードで割り切れない響きに魅せられてしまいました。3拍子にも。そして、この街をずっとフランスのどこかと思っていました。実は架空の街だったの。

2番の🎵銀色の森に愛は落ちてゆく🎵の「愛」を「灰」って歌っていた私。耳コピですから。

3番までの歌に、コロナで暇な私は4番を作詞ししました。

「オーブルの街で  君と夢を見た  春の光を  忘れはしない」

この歌の主人公の「僕」を幸せにしたかったから。



【参考資料】

やっぱり初々しいデビューの歌声

息子と歌う「涙そうそう」うらやましい

この歌を聴きながら、フランスに、失恋に、憧れた私

歌詞の世界観は大と感じ入った歌



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