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私の昭和歌謡74 終着駅 1971

運命の出会いはどこにあるのかを知っているのは歌の中だけ


奥村チヨといえば、コケティッシュな外見と甘ったるい歌の「恋の奴隷」で知られた。だから、周りの女の人たちは、あんまり好きと言う感じではなかった。

でもテレビ時代ですからね。ヒット曲はガンガン流れる。

中学生の私は、なんか美人じゃない個性派が好きだった。チヨっていう名前が同じって言うのも親近感があった。

家族も、「ほら、チヨちゃんが歌ってるわよ」とか教えてくれた。テレビの画面いっぱいに、髪をアップに結ったチヨちゃんは歌う。

わぁ、私もあんなふうにテレビに映ってみたいなぁ。

少女の夢は叶うんだ。
25歳のとき、NHKヤングミュージックフェスティバルの横浜代表で全国放映の番組に出た!でも、自分で自分が歌っている姿は見ることはできなかった。レコードだけが手元にある。

とにかく、テレビのチヨちゃんを見て、自分をそこに投影していた、夢見る少女の私には、歌の内容なんて考えなかった。

大人になって「終着駅」の映画を観た。
まぁ、私の人生にはありえないww

人妻のアメリカ女性とイタリア男性の情事。それぞれの人生にひとときくっきりと残る恋愛の物語だった。

で、この歌を思い出した。
この駅は”悲しい女の吹きだまり”
今日もひとり 明日もひとりと涙を捨てに来る駅。

真冬なのに逃げるように靴もはかず裸足だったり、大きな荷物を引きずってきたり。過去から逃げてくるにしては、あまりに急で、急なわりには荷物をいっぱい持ってるって、どうなの?

想像するしかないのだが、なんか、不思議だ。
私は恋愛結婚をして、息子もいて、幸せに生きてきた67歳だから、こうした過去から逃げるという人生はわからない。

当時は、少女だったからもちろん、この世界は理解し難い。

そういう甘い、酸っぱい、苦しい、死ぬほどの思いや忘れたい過去がない。だから、歌の世界でしか経験できないことを、ちょっぴり大人びた気分になりたくて、この歌を歌った。

奥村チヨさんは、この曲をきっかけに、作曲家浜圭介と出会い結婚した。いい男だ。歌手をきっぱり諦めて作曲家になった。そして、チヨさんは結婚して歌手を引退した。

人生いろいろだ。

過去を捨てて生きる。私はしたことがない。






【参考資料】



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